鳥は人間が歩くように飛んでいる
魚も人間が走るように泳いでいる
雲は人間が野原で寝転ぶように空に横たわっている
人間にも
42.195キロを走る事が当たり前の人がいれば、円周率をすごい桁まで記憶している人がいたり、一つの神を信じる人がいれば、すべての存在に神を観ている人もいる。
これらの違いを生んでいるのは意識だ。
鳥が自分は飛ぶ事などできないと思ったら飛んでいないだろうし、魚も早く泳げないと思っていたら泳いでいない。
マラソンを走りきった人には42.195キロを完走する事なんて出来っこないという意識はない。
それが当たり前にできるという意識だからこそ、実際にそうなっている。
この世界に存在するすべてに何らかの意識が働いているからこそ、そのように存在し、活動している。
~ができるとこころで知るその時まで意識を働かせて、想像し続ける。
そしてそれを意識的に思考しようとしなくてもその思いが当たり前となった時に、そうなっている現実が目の前に広がっていると気付く。
意識がこの世界を生成している
今目の前に広がる世界が自分が望むものであろうと望まないものであろうと、その世界に触れてこころに溢れる思いの一つひとつが新しい現実を創造していく。
その思いの一つひとつがこころとカラダを通して感じさせてくれる観感の世界を味わい尽くすために、意識を内側に、自分のこころとカラダに向け、感覚を研ぎ澄ます。
耳に聴こえる音、鼻に香るニオイ、目に映る風景、カラダの緊張感などカラダ全体で感じ、こころで観じる。
意識を向けた時よりもカラダに軽さを感じているのか、それとも重く感じているのか。
こころは穏やかだろうか、それとも何か違和感を感じているのだろうか。
その一つひとつが今のこころの在り方が自分の思いに素直に生きているかどうかを示してくれている。
“常に喜びの中に生きるのは、とてもシンプルです。あなたがそれに値すると知るだけで良いのです。”
この言の葉に触れる度に僕のこころは温もりに包まれ、カラダは緊張感がほぐれ、軽くなるのを感じる。
五感で感じる世界に価値を見い出す以前に、自分の存在は自分が望む世界に値する、自分自身に価値があると認識する事ができた時、五感で感じる世界の輝きがより一層増すのを深く感じる。
こころのままに、こころそのままに
ありがとうございます。
こころびとJUN