タグ別アーカイブ: 意識

“わたし”という存在

何かに触れて、こころが動く(感動する)のは本来の自分と共鳴するから。

愛を、美しさを、神を、わたしを観る意識を持って、今の意識に繋がる人、もの、出来事、環境を通して五感で感じる。

その感覚を研ぎ澄ました先にこそ、本来の美しい実相の世界が広がる。

いつも、いつでも、どんな時も、自分自身が何に意識を向けるかを決めることができる。

“わたし”とは意識を向けている自分自身

愛を観る意識も、美しさを観る意識も、神を観る意識も、“わたし”が決め、その意識を通して目の前に広がる世界を創造している。

こころのままに、こころそのままに

ありがとうございます。

こころびとJUN

今ここを生きる意味

《純粋な意識》

神を観る意識

*意識とは立つ日の心を知ること。

*立つ日とは真の自己を実現する瞬間のこと。

*実現とは真の“実”相を“現”すこと。

*真の実相とは神であるわたしのこと。

 

わたしは自分自身の真実(真の実相・真の自己)の創造者です。

 

わたしはわたしに「ただ在る状態(真の実相)」でいることを許します。

 

《今ここを生きる純粋な動機》

神を観る意識と感情的理解を通してわたしにとっての喜びとは何かを知り、わたしを知り、愛を知り、神を知る。

 

わたしの独自性のある意思は神のご意思です。

*意思とは立つ日の心(感情)を思うこと。

 

《理念・理想》

*理念とは“今”の“心”の在り方(感情が示す方向)を“理”解すること

*理想とは真の実“相”の“心”(感情)を“理”解すること。

 

《今ここを生きる意味》

*意味とは立つ日の心を味わうこと。

感情(内なる導き)を通して歓喜と至福を味わう。

この感情の中に美しき実相の世界が創造される。

こころのままに、こころそのままに

ありがとうございます。

こころびとJUN

内なる神を観じる

神は理性や言葉、時間を超えた存在であるがゆえに、頭で認識し理解するのではなく、

感覚、感性、感情を通して認識し、理解しようと意識する事が大切である。

カラダの感覚器官である五感を通して、

日々こころに降りてくる直感やひらめきを通して、

毎瞬、毎瞬、こころに溢れる感情を通して

内なる神を観じる事ができる。

その為に感覚を研ぎ澄まし、曇りなきまなこで意識を内に向ける。

その時間を意識的に持つことを続けていると、頭で意識しなくても自然に内に意識を向けられるようになっていく。

何かをした時、またはしなかった時に内側でどのように感じ、何を観じるのか

内なる神が何を喜び、何に対してネガティヴに感じるのか

心地よく思っているのか、それとも何か違和感を覚えているのか

その思いの一つひとつが新しい“今”を創造し、人生という道になる。

こころのままに、こころそのままに

ありがとうございます。

こころびとJUN

感情を味わう

意識が五感を通して感じられる世界を生成する。

どんな感情を味わいたいのかに意識を向けるとその意識に沿った世界が生成される。

その中で行動する事で感情が生まれる。

その感情がポジティブだと感じるものであれば真の自己が味わいたいと思っている感情であり、ネガティヴだと感じるものであれば、意識を向ける方向が本来の自分が観ている方向とは違うよと教えてくれている。

感情を味わう事が今の意識の方向性と真の自己を知るきっかけをくれる。

こころのままに、こころそのままに

ありがとうございます。

こころびとJUN

‪自分が変わると世界が変わる‬

どのような意識でこころに広がる世界を観るかを今の自分が決める事ができる。

喜びを味わうのか

悲しみを味わうのか

怒りや不安を感じるのか

それとも内なる平安を感じるのか

どのような感情を味わうのか

どのような許可を出すのかをいつでも今の自分自身が決める事ができる。

美しさを観る事も愛を感じる事も、その逆を感じて味わい尽くす事も

自分の意思からすべてが始まる。

ありがとうございます。

こころびとJUN

今日の地震を通して感じた事

今日の大阪北部の地震での我が家の震度は5弱でした。

神戸の震災も経験しましたが、その時とは比べものにならないくらいに揺れました。

揺れが始まると同時に自分の足が震えているのを知った時、これも今ここで必要な経験を受け取っているんだと思い、外の世界ではなく、自分のこころとカラダに意識を向け、感覚を研ぎ澄ましていました。

揺れが収まり、周りを見渡すと、コップやお皿が落ちて割れたり、デスクトップパソコンやらプリンターやら大きなものから小さなものまで色々なものが落ちていました。

そのあと、ベランダに出るとまるで何もなかったかのように太陽が世界を照らし、雲がゆっくり流れ、心地よい風が頬を優しくなぜてくれた時、今までには感じた事のないくらいの歓喜と至福がこころに溢れてきました。

この経験から、いつも、いつでも、どんな時も、自分の内側に意識を向け、内なる平安を感じながら、こころに溢れる思いの一つひとつを大切に味わう事が人生に豊かさと幸せをもたらしてくれるんだと確信する機会となりました。

その後の片付けでも今必要のないものを手放す機会を受け取っているんだと気付き、嬉しい気持ちで片付ける事ができました。

この経験に感謝しながら、今ここで共に生きている方々それぞれが、いつも、いつでも、どんな時も、内なる平安を感じられるように、愛と思いを込めて僕のこころの真ん中で祈ります。

ありがとうございます。

こころびとJUN

意識がこの世界を生成している

鳥は人間が歩くように飛んでいる

魚も人間が走るように泳いでいる

雲は人間が野原で寝転ぶように空に横たわっている

人間にも

42.195キロを走る事が当たり前の人がいれば、円周率をすごい桁まで記憶している人がいたり、一つの神を信じる人がいれば、すべての存在に神を観ている人もいる。

これらの違いを生んでいるのは意識だ。

鳥が自分は飛ぶ事などできないと思ったら飛んでいないだろうし、魚も早く泳げないと思っていたら泳いでいない。

マラソンを走りきった人には42.195キロを完走する事なんて出来っこないという意識はない。

それが当たり前にできるという意識だからこそ、実際にそうなっている。

この世界に存在するすべてに何らかの意識が働いているからこそ、そのように存在し、活動している。

~ができるとこころで知るその時まで意識を働かせて、想像し続ける。

そしてそれを意識的に思考しようとしなくてもその思いが当たり前となった時に、そうなっている現実が目の前に広がっていると気付く。

意識がこの世界を生成している

今目の前に広がる世界が自分が望むものであろうと望まないものであろうと、その世界に触れてこころに溢れる思いの一つひとつが新しい現実を創造していく。

その思いの一つひとつがこころとカラダを通して感じさせてくれる観感の世界を味わい尽くすために、意識を内側に、自分のこころとカラダに向け、感覚を研ぎ澄ます。

耳に聴こえる音、鼻に香るニオイ、目に映る風景、カラダの緊張感などカラダ全体で感じ、こころで観じる。

意識を向けた時よりもカラダに軽さを感じているのか、それとも重く感じているのか。

こころは穏やかだろうか、それとも何か違和感を感じているのだろうか。

その一つひとつが今のこころの在り方が自分の思いに素直に生きているかどうかを示してくれている。

“常に喜びの中に生きるのは、とてもシンプルです。あなたがそれに値すると知るだけで良いのです。”

この言の葉に触れる度に僕のこころは温もりに包まれ、カラダは緊張感がほぐれ、軽くなるのを感じる。

五感で感じる世界に価値を見い出す以前に、自分の存在は自分が望む世界に値する、自分自身に価値があると認識する事ができた時、五感で感じる世界の輝きがより一層増すのを深く感じる。

こころのままに、こころそのままに

ありがとうございます。

こころびとJUN

プレアデス の皆さんとの交流で感じた事2018/05/17

意識を未来の記憶に合わせる事でその周波数へと繋がり、その現実が顕現される。

この世界はパラレルワールド(並行して存在する別の世界)であり、どの未来を選択するかを今ここの意識が決める事ができる。

どの未来を選択してもすべては本来の自分へと繋がっている。

今ここの意識を通して与えられる現実は、その意識に必要な経験と学びと成長を得る機会であり、その現実の中の人、もの、出来事、環境のすべてが、本来の自分を思い出すのに貢献してくれている。

ここにこそ、五感で感じているすべてに感謝と祝福を捧げ、そのままに受け取り、こころとカラダで観じ、感じて、味わい尽くす事の大切さを感じる。

こころのままに、こころそのままに

ありがとうございます。

こころびとJUN

プレアデス のルナさんとの交流2018/05/14

日本の皆さん、こんにちは

プレアデス からごあいさつです。

ルナと申します。

こころびとJunを通してお伝えしたい事がございます。

来たるイベントにおきまして、激しい内なる変化を経験する方もおられると思いますが、常に意識を内に向けて内なる平安を感じるように心がけてください。

意識がこの世界を創造します。

目を閉じ、瞑想することの意味がここにあります。

人生の行き先を外に委ねるのではなく、自分の内奥に存在している内なる神へと、他力本願から自己責任へと戻します。

外に向いている意識を自らの内側へと戻し、自らを創造し、表現し、実現していくきっかけが外の五感を通して感じている世界です。

内なる導きに委ね、水晶のように透明なこころでこころとカラダに起こる変化を観じ、感じてください。

その変化の一つひとつがあなたを本来のあなたへと導いてくれています。

その変化にも、その変化という体験をくれている存在にも、それを感じている自分自身にも感謝と祝福を捧げ、味わい尽くしましょう。

その先にこそ、光溢れる美しき実相の世界が広がっています。

あなたの人生はあなたのもの

あなたの存在自体が愛であると気付く事ができますように。

ありがとうございます。

ルナ

第三の眼で観じる時、本来の自分への道が開かれる

今、「君たちはどう生きる」という本を読んでいて、読み進める内にこころに溢れた思いです。

・一部と全部
・天から始まる縁の広がり
・天と点、縁と円
・天が宇宙の中心
・中心点
・内に広がる
・ウズメ

外に広がる意識を内に向けると回転し始め、その渦に中心点の渦の目(ウズメ)ができる。

アメノウズメ(体の天にある頭の中の意識の流れ)が現実という五感で観じる世界を創造する。

内なる世界は天動であり、その流れに沿って生きる事を天道という。

………..

人間には客観的な視点は存在しません。

何かに意識を向ける時、すべては主観で捉えていると気付く経験、「自分の意識がこの世界を創造している」と気付く経験をする機会を促します。

意識は、何かを観るという意思により生まれる気(エネルギー)の流れです。

つまり何かを観る事自体が主観であり、どれだけ意識を解放しようとしても意識を向けている分だけ主観的に物事を捉えています。

目に映るすべての物事が自分のこころに思いを溢れさせてくれる存在であり、元々は自分自身が意識的であれ、無意識的であれ、意識を発する事により、五感で感じる世界に姿を現してくれます。

意識が神意識にまで高まる事ができた時、つまり主観を突き詰めた先にこそ、五感を超えた客観の世界(完全なる美しき実相の世界)が出現します。

ですので、客観的に物事を捉えようと意識するのではなく、主観的に意識を向けていると自覚して、感覚を研ぎ澄まし、物事に触れて、五感を通したカラダの反応やこころに溢れる思いを深く感じ、観じてあげてください。

自分が五感を通して感じている感覚は心地よいのか、それとも心地よくないか、

こころに溢れる思いをポジティブだと観じているのか、ネガティブと観じているのか。

その一つひとつが本来の自分、内なる神と繋がる自分へと導いてくれます。

自意識というフィルターを通さずに曇りなきまなこで観るというのは肉体の持つ2つ目のでなく、第三の眼で観る事、つまり神意識で世界を観じる事を言います。

ですので第三の眼を開く事が重要なのではなく、曇りなきまなこで観じる意識(神意識)にこころを向け続ける事が重要であり、その意識を持っている事が第三の眼を開かせてくれます。

こころのままに、こころそのままに

ありがとうございます。

こころびとJUN