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内なる神を観じる

神は理性や言葉、時間を超えた存在であるがゆえに、頭で認識し理解するのではなく、

感覚、感性、感情を通して認識し、理解しようと意識する事が大切である。

カラダの感覚器官である五感を通して、

日々こころに降りてくる直感やひらめきを通して、

毎瞬、毎瞬、こころに溢れる感情を通して

内なる神を観じる事ができる。

その為に感覚を研ぎ澄まし、曇りなきまなこで意識を内に向ける。

その時間を意識的に持つことを続けていると、頭で意識しなくても自然に内に意識を向けられるようになっていく。

何かをした時、またはしなかった時に内側でどのように感じ、何を観じるのか

内なる神が何を喜び、何に対してネガティヴに感じるのか

心地よく思っているのか、それとも何か違和感を覚えているのか

その思いの一つひとつが新しい“今”を創造し、人生という道になる。

こころのままに、こころそのままに

ありがとうございます。

こころびとJUN

プレアデス のルナさんとの交流2018/05/14

日本の皆さん、こんにちは

プレアデス からごあいさつです。

ルナと申します。

こころびとJunを通してお伝えしたい事がございます。

来たるイベントにおきまして、激しい内なる変化を経験する方もおられると思いますが、常に意識を内に向けて内なる平安を感じるように心がけてください。

意識がこの世界を創造します。

目を閉じ、瞑想することの意味がここにあります。

人生の行き先を外に委ねるのではなく、自分の内奥に存在している内なる神へと、他力本願から自己責任へと戻します。

外に向いている意識を自らの内側へと戻し、自らを創造し、表現し、実現していくきっかけが外の五感を通して感じている世界です。

内なる導きに委ね、水晶のように透明なこころでこころとカラダに起こる変化を観じ、感じてください。

その変化の一つひとつがあなたを本来のあなたへと導いてくれています。

その変化にも、その変化という体験をくれている存在にも、それを感じている自分自身にも感謝と祝福を捧げ、味わい尽くしましょう。

その先にこそ、光溢れる美しき実相の世界が広がっています。

あなたの人生はあなたのもの

あなたの存在自体が愛であると気付く事ができますように。

ありがとうございます。

ルナ

第三の眼で観じる時、本来の自分への道が開かれる

今、「君たちはどう生きる」という本を読んでいて、読み進める内にこころに溢れた思いです。

・一部と全部
・天から始まる縁の広がり
・天と点、縁と円
・天が宇宙の中心
・中心点
・内に広がる
・ウズメ

外に広がる意識を内に向けると回転し始め、その渦に中心点の渦の目(ウズメ)ができる。

アメノウズメ(体の天にある頭の中の意識の流れ)が現実という五感で観じる世界を創造する。

内なる世界は天動であり、その流れに沿って生きる事を天道という。

………..

人間には客観的な視点は存在しません。

何かに意識を向ける時、すべては主観で捉えていると気付く経験、「自分の意識がこの世界を創造している」と気付く経験をする機会を促します。

意識は、何かを観るという意思により生まれる気(エネルギー)の流れです。

つまり何かを観る事自体が主観であり、どれだけ意識を解放しようとしても意識を向けている分だけ主観的に物事を捉えています。

目に映るすべての物事が自分のこころに思いを溢れさせてくれる存在であり、元々は自分自身が意識的であれ、無意識的であれ、意識を発する事により、五感で感じる世界に姿を現してくれます。

意識が神意識にまで高まる事ができた時、つまり主観を突き詰めた先にこそ、五感を超えた客観の世界(完全なる美しき実相の世界)が出現します。

ですので、客観的に物事を捉えようと意識するのではなく、主観的に意識を向けていると自覚して、感覚を研ぎ澄まし、物事に触れて、五感を通したカラダの反応やこころに溢れる思いを深く感じ、観じてあげてください。

自分が五感を通して感じている感覚は心地よいのか、それとも心地よくないか、

こころに溢れる思いをポジティブだと観じているのか、ネガティブと観じているのか。

その一つひとつが本来の自分、内なる神と繋がる自分へと導いてくれます。

自意識というフィルターを通さずに曇りなきまなこで観るというのは肉体の持つ2つ目のでなく、第三の眼で観る事、つまり神意識で世界を観じる事を言います。

ですので第三の眼を開く事が重要なのではなく、曇りなきまなこで観じる意識(神意識)にこころを向け続ける事が重要であり、その意識を持っている事が第三の眼を開かせてくれます。

こころのままに、こころそのままに

ありがとうございます。

こころびとJUN