自分の思いに素直に生きる小冊子

こころのままに こころそのままに

自分の思いに素直に生きたいと願う方々に愛と思いを込めてお届けします☆

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あなたが自分の思いに素直に生きる為に役立ってくださるように祈っています☆
ありがとうございますo(^▽^)o
こころびとJUN

目次

こころびとくうかん

・愛&AIランドへ

和希くん18歳 高校を卒業して働かないでいたがふとしたきっかけでこころびとくうかんがある愛&AIランドに来る。そこではレストランの食事も温泉も、宿泊すらもお金が掛からない事に驚く。どうしても感謝の気持ちを示したい時はこころびと寄付ボックスにお金を入れる事ができる。また愛&AIランドの様々な施設で自分がやりたい事を見つけ、行動する事で支払う事もできると言う。でもそれは義務や最後までやり通さなければならないという事はなく、やりたくなくなった時点でやめても誰も気にもしていない様子である。
この施設を作る中心になっている人物がこころびとJUNという人らしい。色々と施設を巡っている間にこころびとJUNと出会い、話しを聴く事になる。
ある人はレストランで働いていたと思ったら、急に外に出てヨガスペースでヨガを始めた。レストランで食事をしていた人が食事を終えるとそのまま厨房に入り食器を洗いながら楽しそうにお話をしている。

外で犬の散歩していた人が30分後にトイレで夢中で掃除をしているのに出会った。彼は僕を見るやいなや話し始めた。
「僕はトイレを綺麗にするのが大好きなんだ。だってね、綺麗なトイレには綺麗なエネルギーが流れているんだよ。そこでうんちをすると僕たちのカラダから出たものが綺麗なエネルギーになって地球に帰っていくんだ。僕たちが出すうんちはみんな汚いものだと思っているけど、本当は素晴らしい存在なんだ。僕たちが食べたものを胃や腸の中で分解したり発酵したり、カラダに必要な新しい物質を作ったりしてくれる微生物たちで出来ている。

そんな微生物はトイレで排泄されて終わりじゃないんだよ。ここから畑で肥やしになったり、川の水を綺麗にしたりしながら海に戻っていくんだよ。すごいだろ!!僕たちのオシッコだって元々は僕たちの血液としてカラダ中に酸素や栄養を運んでくれていたんだよ。その一部がカラダにはもう必要のないものたちと一緒におしっことして排泄されるけど、これもうんちの中にいる微生物たちのエサになるんだ。微生物たちはそのエサを食べながら、お野菜たちが美味しく育つ為に必要な新しい物質などを作ってくれているんだ。
こうやって僕たちはうんちやオシッコを通して、地球に住む様々な存在と繋がっているんだ。すごいよね!みんな繋がってるんだ。」
彼は自分の話している事に感心しながら嬉しそうな顔でトイレ掃除を続けていた。

運命の出会い!?

・こころびとJUNとの出会い

「それぞれの思いのままにそれぞれがそれぞれの人生という道を作っていく。それがこころびとくうかんという場所なんだよ。」と背後から話しかける人がいる。
「僕はこころびとJUNと言います。あなたの名前は?」と聞かれたので、「僕は和希と申します。誰々さんの紹介でここに来ました。」と答えると、
「こころびとくうかんへようこそ!君が来るのをワクワクしながら楽しみに待っていたんだ。こうやってここで君に出会えるなんて、やっぱり僕はめっちゃんこ運がいいね!!」と笑顔で言った。
「でも、こうやってここで会えたのは偶然でも、奇跡でもないんだ。この運の良さは自分の意思でこの世界に現実化しているんだよ。このこころびとくうかんを作る為に必要な資金も、このコミュニティを一緒に始める思いで繋がる人たちと出会う事も、こうやって君と話す事もすべて自分で意図して創造しているんだ。」と満面の笑みで話している。

・自分の思いを生きる

「人生で起こる事を自分で選びながら生きているんですか!?」
驚きを隠せずに僕は尋ねた。
「この世界は思いでできているんだよ。
自分が発した思いに共鳴するものを引き寄せているんだ。
人間は自分自身の頭で考えて行動して、自分が望む現実、逆に望まない現実を作っていると思っているんだよね。でも実際はその逆で、意識的であれ、無意識的であれ、自分が強く意識している思いが発せられ、その思いに共鳴するエネルギーが人、もの、出来事、環境として自分の現実として返ってくるんだ。

でも自分の思いに素直じゃなかったり、自分の思いに正しいこころの在り方で今ここを生きていなかったら、必要な経験と学びと成長を得られる課題として自分に返ってくるんだね。だから目の前にある現実が自分が望むものであろうと望まないものであろうと自分が発した思いが創造してくれている。だから今こうして僕が君と出会った事も、このこころびとくうかんも自分の思いを発する事で現実化しているんだね。

・思いが現実化される行程

現実化するためには3つの行程があるんだよ。
一つ目
意識的であれ、無意識的であれ、自分の思いを発する事
二つ目
神様が発した思いに共鳴するエネルギーを現実として返してくれる。
三つ目
思いを発したらその思いへの執着を捨てて今ここに与えらている現実を愛と思いを込めて生きる事
そして生きていく中でこころに溢れる感情に触れて、再び自分の思いを発する。これを繰り返していく内に、自分の思いが現実として今ここに与えられている事に気が付くようになるんだ。
英語で現実はrealと書いて、気付くはrealiseと書く。現実とは目の前にある世界に気付く事で生まれるんだね。

ほとんどの人は自分の頭で考えた事が自分にとって正しくて今必要な事なんだって考えながら、無意識的に思いを発しちゃってるんだよね。自分に訪れている現実に触れて、不安に思ったり、悔しい気持ちがこころに溢れても、「いやいや、こんな感情は僕が感じたいと思っているものじゃない。こんな現実を望んでなんかいない。この現実を変える為にもっと努力しなくちゃいけない。今日は友達と遊びたいと思っていたけど我慢して、これからの計画を立てて実行していこうってな感じで、こころに自然と溢れてくる自分の感情を押し殺して頭で考えて行動する。自分の考えで自分の選択する幅を限定するんだね。
だから再び自分が望まない状況が訪れて自分らしくないと考える選択を迫られた時、もっと動揺して現実から目を背けて、頭で考える世界に閉じこもろうとする。自分の思いに素直に生きるとは、本当は自分に訪れてくれている現実に触れて、こころに溢れた不安や悔しいという感情を味わい尽くす事を言うんだけど、自分のこころに溢れるネガティヴな感情からは目を逸らす為に頭で必死で考えて、そう思い込もうとしたりする。まぁ自分が自分で思い込ませている事に気付いていない人も多くいるよね。だからいつまで経っても自分の思いに素直になれず、自分の思いに正しいこころの在り方で今ここを生きていないから、発する思いも本来の自分の思いとは違うものになるから必要な経験と学びと成長を得る為の課題ばかりが訪れる。そうしている内に僕は運が悪いんだ、僕には才能がないんだ。僕は豊かさを受け取る資格なんてないと自分を卑下したりする。
また希望を持つから絶望するんだ。だから希望など持たずに、こころに湧いてくるワクワクなど気にせずに生きていこうと頭で考えてしまう。それを何度も繰り返している内に自分が気付かない間にそういう思考回路で生きていると感情は抑制してしかるべき。それよりも社会に適合する為の知識という壁で本来の自分、自分の思いに素直に生きる自分を塗り固め、閉じ込める。

そして知識を使って生きる道を頭で考えては挫け、それを社会や時代のせいにしたりもする。そして自分など生きている価値などないと思い、自分を憎み、五感を通して見える世界を憎む。
じゃあ自分の思いに素直に生きるにはどうしたらいいかと言うと、今ここで自分に訪れてくれている人、もの、出来事、環境のすべてが必要なものとして与えられているのだから、それらに触れて、こころに溢れる思いが不安や悔しい気持ちであろうともそのままに味わい尽くすとこころに決める事が大切なんだよね。
別の言い方をすれば、望む現実であれ、望まない現実であれ、自分が発した思いに共鳴するエネルギーを人、もの、出来事、環境として返してくれる神様を信頼して、感謝と祝福の中でそのままに受け取り、こころとカラダで楽しむ事が大切なんだ。それが苦しいとか辛いとか思う事であってもね。僕たちがこの肉体を持って地球に生まれてくるのは楽しい、嬉しいというポジティブな感情を味わうだけでなく、苦しいとか悲しいとかネガティヴな感情も味わい尽くす為になんだよ。
さっき話したように社会の中で知識武装して生きている自分を憎み、社会を憎むのは、本来の自分の美しさを、自分の思いに素直に生きて人生を満喫している世界を魂レベルで知っているけど、そうなっていないと無意識に認識しているからなんだよ。

今目の前にある現実を、憎たらしい自分や社会を、本来の自分が望む世界の裏返しなんだと受け入れて、味わい尽くそうとこころに決めた時、憎む世界は自分が作り上げた幻想であると気付き、溶け始め、光を放ち始める。その光に導かれるように、内なる神がいつも、いつでも、どんな時でも愛の光を通して導いてくれている世界へとこころを向ける事ができるようになる。今ここを気楽に、楽しく、味わい尽くす事、自分の中に溢れてくれる感情の一つひとつを大切に今ここを生きる事、こころのままに、こころそのままに生きる事が本来の自分を生きる事なんだと気付く事ができるようになるんだね。
こうやって少しずつ自分の思いに素直に生きて、自分の思いに正しいこころの在り方で生き始めると、本来の自分が望む世界に必要な人、もの、出来事、環境が自分の現実に現れ始め、思いを分かち合い、重ね合う事で、自分が想像した以上に美しい世界が現実化するようになるんだね。その頃には自分の思いがこの世界を創造している事、そして創造したその世界をただただ感謝と祝福の中でそのままに受け取り、愛と思いを込めて命を注ぐ、別の言い方をすれば今ここで自分の思いに素直に生きる事が真の豊かさであり、真の幸せなんだとこころの真ん中で知る事ができるようになるんだね。」
僕は半分以上、いや正直ほとんど意味が理解できなかったが、自分のお腹のあたりに何か温かいものを感じていた。

・「なぜこころびとJUNという名前なんですか?」

「こころびとはね、こころのままに生きる人たちの事を言うんだよ。10年くらい前に僕が久美子お母さんと呼んでいる方に出会ったんだけど、その時には末期がんだったんだ。久美子お母さんの為に何かやってあげたい事はないかなって思いを馳せていたら、『こころびと』という言葉が降りてきたんだ。『風に吹かれ揺れて生きる花のように、こころのままに生きる人をこころびとと言う』というフレーズと一緒にね。
それからこころびとを生きるって決めて、自分の事をこころびとJUNと名乗るようになったんだよ。」久美子お母さんは亡くなってしまったけど、その時に彼女にしてあげたかった事をこれから出会う思いで繋がる人たちの為に行動していこうと決めたんだ。そのひとつがこのこころびとくうかんなんだ。

・観念の違いを楽しむ

ある女性が自分はこう思うんだよねって話したのに対して、「僕はそうは思わないです。それよりもこう思います。」と少し嫌味を込めて話したら、
「そう思えるってすごいね!わたしとは違う思いを聴けて、新しい思いがこころにいっぱい溢れてくるよ!あなたの思いを素直に聴かせてくれて、ありがとう。あなたがその思いに繋がる人たちに出会えるように祈ってるね。あ~あなたとお話しできて幸せなひと時を過ごせました。ありがとうね。」と言われた。
そう言われた事をこころびとJUNさんに話すと「それぞれの思い、それぞれの道、よろず円満大調和すべてよしという事だね。考え方の違いはそれぞれの内に広がる世界の捉え方の違い、観念の違いだね。観念という漢字は今の心を観るって書くでしょう?観念の違いを楽しむのも人生のひとつなんだよ。

例えば、ある三人組が焼肉を一緒に食べにいく。その中には焼肉を食べる事に一心集中して、味やその場の雰囲気を堪能する人がいると思ったら、焼肉をこんなに食べたら太るなぁ~と自責の念に駆られている人もいる。その横にはこんなに食べたら金額が結構高くなるかもな・・・と不安な気持ちになっている人がいる。同じ焼肉を同じ時間・空間で食べていても、今ここを生きて幸せを感じている人もいるし、過去を後悔している人も、未来を不安に思っている人もいる。こうやってそれぞれの思いを生き、それぞれに必要な経験と学びと成長を得ながらそれぞれの道を作っていくんだね。
でも、そんな彼らを見ているあなたにとって大切な事は、今ここを生きて人生を満喫している人が偉いとか、他の二人はダメだとか評価論評しない事。
神様がどんな自分をもそのままに受け入れてくれているように、感謝と祝福の中で目の前に広がる世界のすべてをそのままに受け入れて、あなた自身のこころに溢れる思いの一つひとつを大切に味わう事、そして内なる平安に包まれ満たされながらその世界を味わっている自分自身と向き合う事なんだよ。
自分自身だって5年前にはこう考えていたけど今はこう考えてるって事あるでしょ?その違いがあるからこそ自分の今の思いをより深く感じる事ができるし、その違いが新しい思いを今のこころに溢れさせてくれて、新しい自分を確認する機会になるんだね。もちろん違うから受け入れないって突っぱねながら生きる事も、それぞれの思い、それぞれの道だけどね あはは」と子供のような顔で可笑しそうに笑った。

・こころにサインをくれる感情センサー

「この観念の違いは僕たちが生まれる時に神様の前で選んだ人生と生まれてから自分自身で作り上げた色眼鏡を通して、こころに溢れてくる。自分の思いに正しいこころの在り方で物事を捉えていたら、こころに溢れる思いは心地良かったり、こころが温まるようなものだけど、自分の思いに正しくない、つまり色眼鏡を通して物事を捉えていると自分にとって不都合な事だと考えて、こころには違和感やもっと強くなると拒否感や怒りとして溢れてくる。僕はこれをこころにサインをくれる感情センサーって呼んでいるんだけど、このセンサーが僕たちが生まれる時に神様の前で選んだ人生を生きられるように道しるべになってくれるんだね。
そのセンサーに導かれて生きるよりも感情に流されず自分で何もかもを決めて生きていきたいって思う人は多いけど、このセンサーが示す道しるべをしっかり確認してから自分で今ここで在りたい自分も、今ここでやりたい事も決める事ができる。どちらの道を選んでもまた新しい感情センサーがこころに感情を溢れさせてくれるから、自分が選んだ人生に則った道へと戻してくれるんだね。
だから結局はこの感情センサーは僕たちが生まれる時に選んだ人生を果たすまで機能してくれるなら、自分はこう生きるんだっていう自意識を一度手放して、感情センサーがこころに溢れさせる思いにしばし耳を傾けてもいいんじゃないかなって思ってるんだ。それを自分がそうしたいと思うだけそうできるコミュニティ、こころのままに、こころそのままに過ごせる場所がこのこころびとくうかんなんだよ。
もちろん何に導かれるかも、自分でどう切り開くかも、どう生きるかもすべて今ここにいる自分が決める事ができる。そういう自由を与えられているんだよ。だから何を信じるも信じないも自分で決めていいんだね。その信じた事も次の瞬間に信じなくなっても全然良いし、信じないとこころに決めてた事を信じても構わないなんだよ。それを何度も繰り返したって大丈夫なんだ。それよりも今ここで一番在りたい自分を生き、今ここで一番やりたい事をやっている事の方がとっても大切なんだ。こころのままに、こころそのままにだね。

・僕たちは神の子

この世界を創造した神様は完全・完璧だから完全さを観る事ができない。光の中にいたら光の中だと分かってもその光の美しさを感じる事ができないようにね。だから地球という素晴らしい星や僕たちをこの世界に生み出す事によって、この世界の美しさを観ようとしたんだ。だから僕たちは神様に完全さを観せる為に美しい世界を創造するために生まれたんだ。
僕たちは神様が生み出した存在だから神の子であり、神の子である僕たちが生み出すすべても神の子なんだね。神様が生み出した自然も美しいのと同様に、僕たちの生み出す創造物もまた美しいものになる。それは今ここで一番在りたい自分を生きて、今ここで一番やりたい事をやる事で、愛と思いを込めて創造するものたちに命を注ぐからなんだ。
こころびとくうかんでこころのままに生きる人たちがそうであるように、この世界に生まれる一人ひとりが今ここで一番在りたい自分を生き、今ここで一番やりたい事をやっていればすべてがうまくいく世界なんだよ。これからの新しい世界はそんな美しい世界なんだよ。
だから、もしあなたが自分の思いに素直に生き、自分の思いに正しいこころの在り方で生き、美しい世界を創造したいと思うならここに居て、自分と向き合ってみないかい?あなたの内奥に存在する神と向き合ってみないかい?

・内奥に存在する神と向き合うってどういう事ですか?

「僕の話しを聴いている間にお腹のあたりに温もりを感じたり、カラダが少し軽く感じていなかったかな?」
「あ、はい。普段感じない感覚で不思議だなって思っていました。」
「人はカラダは自分の頭でコントロールしていると思っているけど、ほんとはこころの動きをそのままに表現してくれているんだよ。恥ずかしい経験をした時にそれを隠そうと必死になっても顔が赤くなってしまったり、誰かに自分の過ちを責められている時に勝手に腕組みをしてしまったり、カラダに力みが出たり。
逆に今こうやって和希くんと話している間に少しずつ最初に持っていた不信感が和らぎ、緊張がほどけていって、笑顔が増え始めて、今では何かちょっとしたワクワク感をこころで感じているんじゃないかな?」
そう言われて、こころを見透かされているようで恥ずかしかったが、この人の前だとなぜか素直に「まさにそんな感じです」とハニカミながら答えている自分がいた。
「そうやってこころを五感で感じるように導いてくれている存在が僕が内なる神と呼んでいる偉大な存在で、いつも僕たちが生まれる前に選んだ人生を生きられるようにサポートしてくれているんだね。

・自らの内奥に存在する神

僕が信じている神様は、今存在する宗教が説く神様ではなく、自分の内奥に存在する神様の事なんだ。この神は僕や君だけでなく、この世界に生きる人間すべての内奥に存在してくれている。さっき言ったようにその内なる神が僕たち人間のカラダを通して、僕たちのこころとカラダの表現を通して、その美しさを現してくれる。
でも、僕たちは自分の思いに素直にならず、自分の思いに正しいこころの在り方で生きないという選択をする事で、内なる神をこの世界に現さない上に、美しい世界が目の前にない事を、社会や環境や自分の運命や誰かのせいにしては望まない現実を生きているんだね。
じゃあ、その神様を現実化する為にはどうすればいいかと言うと、完全なる自分を体現する事が必要なんだよ。

・完全なる自分とは

「今に立ち、自我の過去と未来への意識に歪みがなく、真我が発するエネルギーのすべてが愛と光であり、神我の創造する世界が完全で完璧である時、今ここに神を観る自分の事を言うんだね。まぁこれ以上話すと長くなるから今はこの辺で止めとこう。
僕が今話した言葉をそのまま信じる必要も、頭で覚えておく必要もないけど、僕の言葉に触れて、あなたのこころに溢れた思いを素直に感じてみてごらん。きっとそこに今の和希くんが求めている道があるから。長い間、僕の話しを聴いてくれて、本当にありがとうね。」そう言って、こころびとJUNは去って行きました。

新しい世界への扉
自由意思・こころに決める

・これまでの世界 これからの世界

《これまでの世界》
不足の意識、恐れ
単一化、二元性
個人の視点
見えないレールに乗せられて、自分らしく自分の思いのままに生きていると思わせられている世界
周りに気を配る 客観的な視点
《これからの世界》
必要以上に与えられる 内なる平安
多様化、一元性
全体的な視点
自分の思いに正しいこころの在り方を通して、またこころに溢れる感情というセンサーと直感や閃きを活かして自分の思いに素直に内なる衝動に導かれて生きる世界
自分の内側にこころ、カラダ、精神に気を配る 主観的な視点の先の全体性の視点

・完全なる美しき実相の世界

何をしていてもいいし、何もしていなくてもいい。それよりも今ここで行動している事に愛と思いを込めて命を注げているかが大切なんだね。例えば今までは左の闇から右の光へという世界だったから右に向かないと行けないとみんな思い込んでいるので、左に向いたらネガテイブな気持ちになるからダメで右を向かないといけないと自分の生きる道を限定していたけど、これからの世界ではあなたの内側に光があると知り、その光の広がりが外に現れる世界で、ネガティヴに感じる事も、ポジティブに感じる事も今の自分から観て左に向くか右に向くかの違いだけなんだから、こころに溢れる感情を味わい尽くす事で今までにはなかった思いがこころに溢れて世界の美しさをより深く広く味わう事ができるようになる。
だから上を向いても下を向いても光の広がりを観る事ができる世界であって、左を向いている自分や下を向いている自分を責めるのではなく、ここにも光が広がっているならどんな美しい色をしてるんだろうって意識を向けてあげられたら、そこに意識を向ける事ができた分だけ、言い換えればあなたが発した思いの分だけ美しい光を観る事ができる世界なんだ。そして左を向いても、右を向いても、上でも下でも光に満たされている自分に気が付いた時、自分は愛の光の輪の中で真の豊かさと真の幸せに包まれ、満たされている事に気が付くんだね。
それに気が付いたら今度はその光を発している自分の内側のもっと奥にこころを向ける事ができる。そのずっとずーーーっと奥深くまで味わい尽くした時、あなたの思いがそのままに創造されている世界で、今までには観た事のないような美しい世界を観る事ができるんだよ。僕はその世界の事を『完全なる美しき実相の世界』と呼んでいるんだ。あなたもあなたの思いで繋がる人、もの、出来事、環境のすべてが愛の光で本当に美しく輝いている世界だね。この世界にこころもカラダも満たしているとこころにあったわだかまりも溶けていき、平安に包まれる。
その時こそが前に話した『完全なる自分』を生きて、今ここに神を観ている状態なんだね。その中で今こころに望む世界や思いで繋がる人たちと分かち合う豊かさや幸せを思い描き、「わたしはこの世界を生きます」とこころに決めた時、あなたの意識に共鳴する世界が動き出し、新しい現実が創造されるんだね。

・新しい世界への扉

何をしてもいいし、何もしなくてもいい。それよりも自分がした事、しなかった事、目の前にある現実に善悪を付けたり、評価論評するのではなく、まずはこころに溢れる思いの一つひとつに触れて、内から湧き上がる衝動にこころもカラダも委ねるとこころに決める事が大切なんだ。今までの世界では経験に基づいて頭で考えて決めた事をどれだけ忠実に実行し、自分が目指す目標を達成するかに重点を置いている人たちが多い世界だったけど、これからの世界では、色々な思いを溢れさせてくれる内なる神を信頼し、内なる神に委ねて自分が生まれる前に選んだ人生に導いてもらう事で自分が想像する以上に美しい世界を思いで繋がる人、もの、出来事、環境と共に創造していく世界なんだよ。
神の思し召しのままに神の御業を今ここに現す。『神の思し召しのままに』はこころに溢れる思いに素直にこころを向ける事を言い、『神の御業を現す』はその思いがくれる衝動に導かれながら今ここで一番在りたい自分を生き、今ここで一番やりたい事に愛と思いを込めて命を注ぐ事を言うんだね。昔の人の言の葉もこの事を言っていたんだ。
目に見える世界にではなく、まず始めに自らの内なる世界に実相を現す。その為に内なる神の導きを信頼し、すべてを神に委ねますとこころに決める事が大切なんだね。そうすると新しい世界への扉が開く。いつも僕たちはその扉の前にいるんだけど、その扉に気付くかどうかも、その扉を開けるかどうかも今の自分自身が決める事ができるんだよ。

・今までの世界 これからの世界

今までの世界とこれからの世界の違いを話すと、今までは常識や一般的な考えに則った単一的な視点で世界を見ていたけど、これからはそれぞれがそれぞれの思いのままに内なる世界を通して創造した世界を多様性に富んだ視点で観る世界へと変わっていく。今までは人と違う事をすると白い目で見られる事があったけど、これからは違いにこそ着目され、その違いに触れて、こころに溢れる新しい思いを分かち合ったり、重ね合う事で自分が想像する以上の世界観で内なる世界を観て、その世界を現実化していくようになる。
今までは自分の個人的な視点で見て評価論評を下しては自分のこだわり・自意識・エゴで本来の自分を包み隠してきたけど、これからはそれよりもはるかに大きな視点、多様な視点で世界を捉える事でこだわりが自然と消え、こころに溢れくる思いに素直な本来の自分を生きる事ができるようになる。
今までは客観的な視点を大切にしようとするから主観である自分の思いをないがしろにしたり、自分の思っている事を否定したり、そう思ってしまう自分を責めてはこころにストレスを感じ、カラダは病気になっては自己管理ができていないとまた自分を責めるような人たちが多くいる世界だったけど、これからの世界は目の前に広がる自分の思いが創造している世界に触れて、今この瞬間にこころに溢れる思いを大切に、自分の思いを通して世界を感じ、観じる主観を大切に今ここを生きる人たちの世界なんだ。
今までは溜息はついてはいけないものだと思われていたけど、これからは溜息は自分の思いに素直に生きていないよと教えてくれる為に自然と出てくるのだから、滞っていたものをしっかり吐き出し、エネルギーの流れを良くするのだからとみんな溜息を吐くと嬉しい気持ちになる世界なんだ。
今までは自分の思いよりも周りの事を気にして生きていた世界だったけど、自分の思いに素直に生きる事ですべてがうまくいく世界なんだ。人間は道を歩いている時に前から人が来たら相手の事を考えて避けようとするからぶつかっちゃう。でも羊飼いに導かれている羊たちは各々メェ~メェ~言いながら自分の思いに素直に好き勝手歩いたり走ったりしているからぶつかって倒れたり、あ、すみませんなんてやらないよね。
同じように人間も各々が自分の思いに素直に、自分の思いに正しいこころの在り方で今ここで一番在りたい自分を生き、今ここで一番やりたい事に愛と思いを込めて命を捧げていたらすべてうまくいく世界を創造する事ができるようになる。

共創生活
こころびとくうかんという世界

・こころびとくうかん

愛&AIランドでこころびとくうかんが始まってから今までに作られた施設には無農薬のお野菜やフルーツ、ハーブやスパイスを栽培している畑、そこで収穫したものを加工する工房、ヨガなどをするヨガスペース、ドッグラン併設のコテージ、瞑想・音叉円型ロッジハウスがあります。これらの施設では基本的に太陽が昇ってから沈むまでの時間帯に活動している方たちが多いようです。他にも自己表現できる場を作る為のコミュニティがいくつかあって、思いで繋がる人たちが思いを分かち合い、重ね合っています。
こころびとJUNさんが愛&AIランドにいる時は、ほとんど毎晩、愛&AIランドの真ん中にある円卓に自然と人たちが集まり、お話しをしています。その真ん中にはいつもこころびとJUNさんがいました。参加している人たちは、こころびとJUNさんが書いた「自分の思いに正しいこころの在り方について」という本に対する質問や今思っている事に対するこころの在り方についてなど聴きたい事を聴き、それにこころびとJUNさんが答えたり、思いを重ねたい人たちがお話しをしたりしています。
また昼間には大阪市内のセミナールームで週3回開かれるお話し会の題材についての質問などもしていました。ThisisMYLIFE SNS上で今までのお話し会の動画が観られたり、資料もダウンロードできます。ちなみに僕が愛&AIランドに行った週の題材は「今までの世界とこれからの世界」でした。
この円卓に参加している人たちは30代以上の方が多いのが印象的でした。10代、20代の方々は頭で考えるよりも今ここでやりたい事をこころのままに自然と行動できる人が多いそうで、参加する人たちは、行動する中で違和感を感じたり、疑問に思う事があった時に参加してくれるんだとこころびとJUNさんが話していました。
僕はまだ自分が本当に在りたい自分ややりたい事が明確ではなかったので今はほぼ毎回参加させてもらっています。その中ですごく印象的だった事がいくつかあります。

⑴一つは親の自分の子供に対する時のこころの在り方

「親はよく子供に「あの時こうするって決めたでしょ!!って怒っていますが、もしかしたらその一言が、子供に今ここで一番在りたい自分を生きて、一番やりたい事をする機会を奪っているんじゃないかって思うんです。こころのままに生きるというのは今ここで一番在りたい自分を生きる事であって、過去に決めた事を前提にその延長線上を生きる事ではないのです。
昨日毎日6時に起きて勉強するんだって子供が言った次の日の朝に6時になっても起きてこなくても、こころのままに幸せに寝ている子供を無理やり起こして叱る事で、何かをするとこころに決める事はお母さんに怒られるからもうしたくないと思わせるかもしれないし、お母さんに怒られたから今ここで一番在りたい自分を生きるのはやめて、本当はやりたくないけど、お母さんの言う通りに過去に決めた事をやろうと思わせているかもしれません。
それはその子の意識の問題ですが、親であるあなたにとって子供が今ここをこころのままに生きるのと過去に決めた事をイヤイヤでもやっている子供のどちらをあなたの世界に現したいですか?一度自分のこころに聴いてみてください。」と話していた事です。
僕はまだ結婚もしていないし、子供もいないけど、部活の後輩に同じような事を話していた事を思い出し、ハッとしました。彼の事を思って言ったつもりの一言が僕の目の前にいた彼のやる気を失わせていたのかもしれないと思ったからです。もちろん彼がどう思ったかは彼の意識の問題だけど、僕の目に写っていた彼の悲しそうな顔を思い出すと胸がぎゅーっと痛くなりました。

⑵どうしても許せない人がいるがどうしたらいいかという質問に対する返答

「あなたが許せないと思っているその人はあなたが本来の自分を思い出す機会をくれているんですよ。
例えば、Aさんという人は何度かあなたにウソをついたとします。その後あなたはAさんに会う度に嫌な気分になります。なぜ嫌な気分になるのかと言うと、あなたは嘘をつく事はいけない事だと思っているからです。
あなたの中に『嘘はいけないもの』というこだわりがあるからAさんという存在が気になり、気になる分だけあなたの意識が嘘をつく事に向いているから、あなたが本来の自分を生きる為に必要な経験と学びと成長を得る為にAさんを引き寄せるんですね。
あなたに『嘘はいけないもの』というこだわりがなければ、Aさんを引き寄せる事もないし、もし道端でばったりAさんに会ったとしてもAさんの事も、Aさんがウソをついても気にもならない訳です。
つまり、あなたが五感を通して見ている世界において、あなたが本来の自分を思い出す為の必要な経験をできるように、Aさんはわざわざあなたの気分を害する悪役を演じてくれているんですね。
本来の自分とは内なる神と一つとなって愛を発している自分であり、この世界を創造した神様がすべてをそのままに受け入れてくれているように、嘘をついたAさんも嘘自体もそのままに受け入れている自分の事です。
それは「嘘はいけないもの』だと思い込んでいる自分自身をも許し、受け入れてあげる事を意味しています。
だから、どうしても許せないと思った時は、自分は何を許せないのだろうと思いを馳せて、許せない自分も、許せないと思っている事も、また許せないと思わせてくれている存在をも許す意識にこころを向け続ける事が大切ですね。
僕は同じような出来事が自分の世界に訪れてくれた時にはいつも
「わたしはわたしを許します
わたしはあなたを許します
わたしはすべてを許します」
とこころの中で出来事のすべてを許す為に何度も繰り返しています。
あなたの思いが作り出しているあなたの世界の中であなた自身が向き合っている課題を克服する為に、あなたが許せないと思い込んでいる人が、あなたの為にわざわざ悪役を演じてくれている事に感謝と祝福を捧げる事ができたら最幸ですね。」

⑶こころに決めるってどういう意味ですか?

こころに決めるというのは、自分の思いを自分の内なる実相の世界に発する事を言うんだよ。思いが内なる実相の世界に発せられると内なる実相の世界でその思いのままに美しい世界が創造されて、僕たちが五感を通して感じている現実に物質化、現象化されるのを待ってくれているんだよ。そして自分の思いに正しいこころの在り方で今ここを生きていると、言い換えれば『完全なる自分』を生きているとこの美しい実相の世界が目の前に広がっている事に気付く事ができるようになるんだね。
でも、もしそこに自意識(エゴ、こだわり)があったとしたら、そのこだわりを解消してくれる為に必要な人、もの、出来事、環境のすべてが自分に訪れてくれる。その課題を通して必要な経験と学びと成長を得る事によって、より完全なる自分を現す事ができるようになり、その思いを現実化する事ができるんだ。
その為にまず必要な事はこころを決める事、宇宙に思いを発する事、でもそれに対して絶対に達成しなきゃいけないとか、その結果にこだわってその為に何かしようとするのではなく、今ここを愛と思いを込めて命を注ぐ事が大切だね。
もし結果にこだわったり、その為に何かしようとする事は、ただ新しい自意識であるこだわりを生み出すだけであって、発してから本当に必要な事は自分が発したものが必ず返ってくるという宇宙の法則を信頼して、その意識を手放す事が大切なんだよ。真の豊かさも真の幸せもこころに決めた思いが現実化する今ここにあるのだから。
ただただ、今ここで一番在りたい自分を生き、今ここで一番やりたい事に感謝と祝福を捧げながら、愛と思いを込めて命を注ぐ。
そうやって毎瞬、毎瞬を生きていると自然と今ここで必要なものを必要な形で必要な分だけ今ここに与えられている事に気付く事ができるようになる。その気付きを深めていくと自分が発した以上のものが返ってきていたり、自分の想像を、思いをはるかに超えた現実が目の前にある事に気付くんだ。人間はそれを奇跡と呼ぶんだね。奇跡というのは僕たちが理解できないものではあるけれども、実際は自分が発したものが、その思いに共鳴する思いと共に返ってきて現象化した時に起こるんだよ。
具体的に言うと、まず自分がその思いを宇宙に発した。その思いに共鳴する人があなたの世界に引き寄せられて、その人の思いを分かち合い、重ね合う事で、その新しい思いに共鳴する人、もの、出来事、環境がどんどん引き寄せられて、その思いもどんどん大きくなって、その思いが明確になった時に奇跡として現実化するんだ。
だから人やもの、利害、目的達成などで繋がるコミュニティよりも思いで繋がるコミュニティでこそ、本当に美しい自分、実相をこの世界に現す事ができるんだ。先ほど言った物質化する、現実化するというのは、あなたが発する思いが作る目には見えないけど、自分の内奥に存在する実相の世界を目や耳などの五感が感じる事ができる現象界に現す事を言うんだね。
だから最初っから目で見える世界、五感で感じられる世界に意識を向けるのではなく、自分の内奥に存在する目には見えない実相の世界に意識を向けて、そこに思いを発するとこころに決めた上で、五感で感じられる僕たちが現実と呼んでいる世界で今ここを生きる事に集中する事が大切なんだ。

・内なる神の導き

こころびとJUNさんの面白いところは「僕はあなたを変える事も、あなたを幸せにする事もできません」とハッキリ言う事です。彼は事あるごとにこんな話しをします。
「僕が話す言葉に真実や答えを見出さないでください。なぜならそこにはみなさんが求めている真実や答えはないからです。真実や答えはいつもここに来てくださる方々それぞれのこころの中にこそあります。僕の話しを頭で理解して自分の人生に活かそうと努力するのではなく、僕の話しを鵜呑みにするのではなく、僕や他の方々が発する言の葉に触れて、自分のこころに溢れる思いの一つひとつをこころとカラダ、五感、直感、閃きを通して味わってみてください。
みなさん一人ひとりそれぞれの内にはこの世界を創造した神様と同じ神様がいて、生まれる前にそれぞれの選んだ人生に則って、こころとカラダの様々な感覚を通して導いてくれています。
その導きに感謝と祝福を捧げながら味わい尽くす事で、必ずそれぞれが求める真実や答えにたどり着く事ができます。もちろんこころとカラダにもたらされる事はいい事ばかりではありません。逆に本来の自分を思い出す最初の段階では、こころには悲しみや苦しみ、怒りや恐れ、カラダには病気や怪我として現れるかもしれません。
でも、その一つひとつさえも自分が本来の自分を思い出すために、自分の思いに素直に生きる為に必要なものとして今ここに与えられているのだとこころの真ん中で感謝と祝福を捧げる事ができるようになった時、こころに訪れた悲しみや恐れも、カラダに訪れた病気や怪我もそのすべてが最幸の宝物だったんだと気付く日が必ず来ます。
今の自分を、あなたの内に存在する神様を信頼する事は難しいかもしれませんが、あなたが自分自身に向き合っている時も向き合えないでいる時も内に存在する神様はあなたを温かく見守ってくれています。あなたをこの世界に創造してくれた存在である神様はあなたに愛想を尽かす事は絶対にありません。いつも、いつでも、どんな時も、あなたが今ここで必要なものを必要な形で必要な分だけ与え続けてくださいます。
あなたのこころに溢れる思いの一つひとつに正しいこころの在り方で今ここを生き続けられるようにあなたを本来の自分へと導いてくれています。今はそれが信じられなくても、内なる神を信頼して今ここを生きると今ここでこころに決めるだけでその世界の扉が開き始めます。
でも先ほども言ったように僕のこの言葉自体ではなく、この言の葉に触れて、今の自分のこころとカラダがどのように感じているかにこころを向けてあげてください。僕はあなたを本当に美しい本来のあなたへと導く事はできませんが、あなたの内なる神に導かれるあなたをサポートする事はできると信じています。
あなたを幸せにできるのは僕でもましてやあなたの親や愛する人たちではなく、あなたの内に存在してくれている神様とその導きを感謝と祝福の中で受け入れて、その一つひとつを味わい尽くすあなた自身です。
あなたの人生はあなたのものです。
あなたのこころに溢れる思い、カラダに溢れる感覚、頭に降りてくる直感や閃きのすべてがあなたのものであり、あなた自身であり、本来のあなたの生きる道、人生そのものであると知っていてください。

それぞれの思い それぞれの道

自分の思いに素直に生きる
自分の思いに正しいこころの在り方

・愛と愛情の違い

愛と愛情はおなじように見えるけどまったく反対の存在なんだよ。愛情や同情は相手が悲しんでいるからとかその人が可哀想だから私がどうにかしてあげようと相手の波動に合わせて、自分の波動を下げることを言うんだよ。
愛とは逆に自分の内なる世界で相手が自分の思いに素直に生きて、満面の笑みで今ここを楽しんでいる姿、本当に輝いてる姿を思い描き、こころに深く感じる事で、その人をその美しい本来のその人へと導く事を言うんだよ。
愛情に情けという字がくっついているのは同情と同じで、相手を自分より下に見る意識だけど、愛はその人を自分自身と同じ素晴らしく美しい存在だと観る事を言うんだ。愛情を求める相手は波動を下げている自分と思いを分かち合ってくれる人をただ求めているから愛情を注いで波動を下げてくれる人を探しているんだね。反対の立場で同情して愛情を注いだ人は自分の波動を下げる事になるから話しを聞いたり励ましたりした後にこころもカラダもぐっと疲れを感じる。
逆に愛情を求めている人の美しい姿をこころに描きますとこころに決めて、その人に向かい合う事を決めた人は自分の内なる世界、愛に満ち溢れた美しい世界にこころを満たしているので、こころもカラダもどんどん温かくなり、軽くなる。その時あなたのこころに溢れる思いに触れて、湧き上がる衝動に導かれて言葉や行動として現してもいいし、何も言わずにそのまま内なる実相の世界にこころを満たしていてもいい。
愛情を求めた人はその言葉や行動に怒ったり、その場を去っていくかもしれないけれど、あなたにとっては内なる世界にこころを向ける機会をくれた存在なのだから、あなたがその人に対して申し訳ないと思う必要はまったくないんだよ。それよりもこうやって美しい世界を魅せてくれて、ありがとうって感謝と祝福を捧げてあげる事が大切だね。そして、もしもその人が愛情ではなく、愛を受け入れるとこころを決める事ができた時、あなたとその人が共に思いを分かち合い、重ね合う事で内なる世界に描かれた美しき実相の世界を五感で感じる世界に現象化する事ができるんだね。

・別れる時に流れる涙の本当の意味

愛する人と別れてしまい、悲しくて涙が止まらないんですという人に対して、「人が別れを経験する時に涙が出るのは、別れが悲しいからではなく、相手を思っていた分だけ涙が出るんですね。相手の事を愛していなかったら別れても一滴の涙も出ないでしょう。悲しみに浸る事も選択の内のひとつですが、こうやって自分でも驚くくらいに涙を流せる分だけ自分は誰かを愛する事ができるんだと教えてくれたその方に感謝と祝福を捧げるのもいいかもしれませんね。そして誰かをこんなに愛せると教えてくれたその人が、自分と同じように本来の自分へと一歩でも近づいている世界をこころに描き、その世界にも感謝と祝福を捧げる事ができたら最幸ですね。」とこころびとJUNさんは笑顔で答えていました。

・内なる神の導きに委ねる

自分が思いを発したらその後は神の導きに委ねるってどういう意味なんですか?という質問に対して、
「神に委ねる必要があるのは、自分から発する想念、エネルギーは一方向にしか流れないからなんだ。電車で言えば単線なんだよね。単線の電車は向こうから電車が来たらその電車が通り過ぎるまで待たなければいけないよね。自分から思いを発した後もまだ来ないのかな、いつ頃来ますか?って執着して発し続けていたら、あたなの思いとその思いに共鳴するエネルギーは返って来れないんだ。だからその思いを生きるとこころに決めて発したら、神様は発したエネルギーをちゃんと返してくれて、必要な時に、必要なものを必要な分だけ今ここに与えてくれると信頼し、神に委ねる必要があるんだね。もちろん望む現実を望んで創造したかったらだけど、望まない現実を望んで作りたいなら執着し続ける事が大切にはなるんだけどね。」と可笑しそうに笑いました。

・愛と思いを込めて命を注ぐ

愛と思いを込めて命を注ぐというのは、その対象が人、もの、出来事、環境のいづれにしろ本来の美しい姿をこころに描き、自らの内に在します完全なる美しき実相の世界と共鳴しながら、今ここで一番在りたい自分を生き、今ここで一番やりたい事に無我夢中になる事を言うんだよ。無我とは『自意識・エゴ・結果に対するこだわりなどがない状態の自分』で、夢中とは『五感で感じる世界ではなく、自らの内奥に存在する完全なる美しき実相の世界に意識を向けた状態の事』を言うんだ。
愛とは『対象の完全なる美しき実相、完全性を観る事』を言い、思いは『その対象の完全性を現すとこころに決める事』を言い、命を注ぐとは『毎瞬、毎瞬、ただただ今ここを生きる事』を言うんだ。
つまり、毎瞬、毎瞬、自分に訪れる人、もの、出来事、環境のすべてに対して評価論評せずそのままに受け入れて、こころに溢れる思いの一つひとつを大切に感じながら、自分の内奥に存在してくれている完全なる美しき実相の世界に意識を向け続ける事で、必ずその世界が現実化してくれると内なる神を信頼し、感謝と祝福の中で今ここで一番在りたい自分を生き、今ここで一番やりたい事をやる事を、愛と思いを込めて命を注ぐというんだね。

・内なる神は人生のパートナー

自分に対して与えられる入り口と自分が与える出口を僕たちは持っています。
内なる神様は僕たちの人生のパートナーだから僕たちが入り口を開けようとすると出口を開けるのをサポートしてくれんだよ。
例えば、お金が欲しい、お金が欲しいと自分にお金が入ってくるように入り口を開けようと一所懸命になっていると、神様は出口を開けようとしてくれるんだね。神様は全知全能で、僕たちよりも扉を開くことができるから、僕たちが入り口を一所懸命開けようとすればするほど神様が出口を開いて、入ってくる以上にお金が出て行っちゃう。
逆に自分が持っているお金でも、知恵でも、ちょっとした行動でもいいから誰かが喜ぶように使おうと思いながら日々を過ごしている人は、自分から与える出口を開けようとしているので、神様は入り口を開けてくれる。だから与えた以上に豊かさを受け取る事ができるんだね。
これは僕の経験でも言える事なんだけど、僕が株の取引をしていた時があって、その時に株を買う、または売る時に千円と利益が出た時の10%を誰かの笑顔や希望の光になるように使うとこころに決めた時があったんだよね。
例えばある会社の株を10万円で買って、15万円で売ったら、売買の2千円と利益の10%の5千円の合計7千円をこころびと寄付に回していたんだ。すると不思議と友達の子供に絵本を贈ったり、病気になった人に自然食品由来のサプリメントを贈ったり、様々な形で寄付をする機会が僕に訪れてくれたので、その現実をそのままに受け取り、どんどん自分から出していったんだね。そしたら最初の一年で100万円くらい寄付する事ができた上に、今まで以上に自分の手元に残ったお金も増えていたんだよね。
寄付をするお金を稼ぎたいからリスクを取ろうと考えもしなかったし、利益が出やすい会社を探したりなど特別な事は何もしなかったのに、気付いたらそうなっていた。まさに現状がどうだこうだと考えず、ただ今ここで在りたい自分、やりたい事をこころに決めて内なる宇宙に発し、その後は内なる神を信頼して、今ここで一番在りたい自分を生き、今ここで一番やりたい事に愛と思いを込めて命を注いでいただけなんだよね。
どうしてこうなるのかというと、自分が受け取る入り口ばかりを開こうとする意識が不足の意識で、自分から与える出口ばかりを開こうとする意識は満たされている意識だからなんだ。
いつも自分から何かを与えようと意識して少しでも行動している時は自分が満たされている意識にこころを向けているから、気が付いたら自分が豊かに満たされている世界を現実化するし、
自分が受け取る事にばかり気にかけている時は、自分は何かが足りていないという不足の意識にこころを向けているから、気が付いたら自分が満たされていない世界を現実化してしまうんだね。
だからと言って自分は我慢してでも与えようとする意識は、これまた自己犠牲の意識で、自分なんかは満たされていなくてもいいという意識に共鳴するエネルギーを引き寄せる。それでも与えたいと思うのならば、与える喜びを味わいますとこころに決める事が大切だね。
愛と思いを込めて命を注ぐとは、自分の存在自体が愛であり、その愛に満ちた思いを発し、その思いに共鳴し、自分に訪れてくれる存在が自分と同じように愛であると観る意識なんだよ。自分の存在自体が豊かさであると受け入れるように、自分に訪れる存在のすべてが豊かさであると受け入れる意識。
だから与える喜びを味わうとは自分が発した想念が創造してくれている美しい世界を満喫する事を言うんだ。
自分の思いに素直にこころを向けて、今ここで一番在りたい自分を生きて、今ここで一番やりたい事に愛と思いを込めて命を注ぐ事でこそ、その意識に共鳴する人、もの、出来事、環境それぞれを最高に美しく輝かせる事ができ、この世界を五感を通して観る世界に現実化する事ができるんだね。
また自分には与えられているものを受け取る価値がないという意識を持つ事も不足の意識だから、自分への入り口が開かない。
自分が発したものが共鳴するエネルギーと共に自分に返ってくるという宇宙の法則があるので、与えられているものをそのままに受け取ろうとする意識は自分には受け取る価値があり、満たされる価値があるという意識であって、自分から与えようと意識する事と同じように大切なんだ。
だから、そんな時は今ここで与えられているもの、与えられている自分自身に対してネガテイブな意識を持っている事に気が付いたら、今ここで与えられている事に感謝と祝福を捧げて、そのままに受け取りますとこころに決める事ができたら最幸だね。

・こころびとJUNと奥さんの関係

奥さんは僕にとって、自分では気付けていない自意識やこだわりに気付かせてくれて、一番向き合わせてくれる存在なんだよね。
奥さんを救う事が僕が救われる事であり、僕が救われる事が彼女にとって救いとなっているんだ。
奥さんは会話や態度を通して、または僕の中の閃きを通して何か満たされていないと教えてくれているんだよ。
その満たされていない部分を僕が与える事ができるとも教えてくれている。
今まではそれに対して自分の思いを発しないから奥さん自身が引き寄せていないんだと思っていたけど、本当は僕自身が五感を通して観ている世界が自分が望まない現実になっているよって奥さんが一番近くで教えてくれている事に気が付いたんだよ。
僕が創造し、感じ、観じている奥さんの完全性を観ない事で生まれる僕自身の不足の意識であり、それは神様からの分離であり、神と繋がり神を現す事ができる本来の自分なら神様と同じように無限に与える事ができるのに、自ら与えないとこころに決めて、その発した想念が創り出してくれている世界に不満を言ってる自分に気付かせてくれたんだね。
内なる神と繋がり、自分に訪れるすべてに神の完全性を観る意識である本来の僕は神の子なのだから、本来の奥さんに今ここで必要なものを必要な形で必要な分だけ与える事ができるんだよ。それは与える喜びを味わう機会をくれているという事なんだ。そして僕自身はこの美しい世界を創造する為に今ここにいるんだと気付いたんだね。
だから、すぐに『今ここで与える喜びを味わいますとこころに決めます。その為に今ここで一番在りたい自分を生き、今ここで一番やりたい事に愛と思いを込めて命を注ぎます。ありがとうございます。』とこころに決めて内なる神を通して内なる実相の世界に発したんだ。
そして、こうしたい、ああしたいと言っている奥さんと向き合うのではなく、それを聴いて僕のこころに溢れる思い、奥さんが自分の思いに素直に生き、自分の思いに正しいこころの在り方で今ここを生きて、豊かさと幸せを感じ、観じながら毎瞬、毎瞬を生きてほしいと願う自分自身と向き合うとこころに決めたんだ。
このこころの在り方で生きていると、奥さんを救う事が僕が救われる事であり、僕が救われる事が彼女にとって救いとなっていると気付かせてくれる。
思いで繋がる人たちの中でも奥さんは、僕の人生をとてつもなく輝かせてくれる存在だと知っているからね。
大切な人たちを輝かせる事が僕の輝きなんだ。僕は誰かの希望の光であり、誰かは僕の希望の光。それをこころで知る機会をたくさんくれる存在が奥さんなんだよ。

・誰かを救う事が自分を救う事になる

『誰かを救う事が自分を救う事になる』
この事を僕に教えてくれた人がけいこさんという方なんだよ。
けいこさんは2010年1月に胃がんが見つかり、2月に4分の3を摘出する手術をして、お医者さんはこれで大丈夫だと言ったんだけど、6月にリンパと十二指腸と肝臓と胆管に転移が見つかり、7月に抗がん剤治療を一回したんだね。でも副作用が辛くて抗ガン剤を止めたんだ。その時、僕が714xという代替医療の事を知っていると聞き、娘さん二人とお話しを聴きに来てくださったんだ。けいこさんの健康と幸せを祈り、けいこさんのこころに笑顔と希望の光が灯るようにと愛と思いを込めてお話しさせてもらったんだよね。そしたら714xに生きる希望を見い出してくれて、8月の頭から714x治療を始めた。
9月7日に病院で検査があったんだけど、その病院からけいこさんから電話があって、『じゅんさん、すべてのガンが消えていました。じゅんさんのおかげで命を救われました。本当にありがとうございます。』って言われたんだ。
その瞬間、僕のこころを固く覆っていた何かがすぅ~って溶けていくのを感じたんだ。
僕は2007年までアメリカのニューヨークに居たんだけど、そこで脳腫瘍が見つかり、ニューヨークでの生活も、夢も捨てて、死ぬつもりで帰国したんだ。脳に腫瘍があると聞かされた時、『人生ってこうやって終わるんだ』って思った。脳に腫瘍ができたら手術もできないし、何か治療ができても後遺症などで今までと同じようには生きられないんだろうなって思ってたからね。
でも帰国したらすぐに母親が知り合いに教えてもらった自然食品由来のサプリメントを飲み始めたら、1ヶ月後には腫瘍の8割が消えたんだね。その時の担当医も『こんなに回復するのは奇跡だね』って言ってた。でも、僕は死ぬつもりで帰国したのに生かされている事が受け入れられなかった。そしてある日『どうして僕を生かそうとするんですか?』って神様に投げかけてみたらすぐに、『もう少し生きて、人の役に立ちなさい』という言の葉が降りてきたんだ。
だから、自分の夢や生きる希望を持つ代わりに、こんな僕でも必要としてくれる方々が少しでもこころに笑顔と希望の光を灯してくれるように行動しようと分子栄養学を学んで、自分の経験も踏まえて、健康相談に乗らせてもらっていたんだ。でも相談を受けて一所懸命に話しても、いつもどうしてももっとうまく伝えられないんだ。どうしてもっとこの方に希望を届ける事ができないんだって自分を責めていたんだよ。本当に辛くて、光のまったく見えない闇を歩いているような日々だったけど、けいこさんからの電話がそんな僕のこころに光を届け、僕を救ってくれたんだね。こんな僕でも生きていいんだって言われた気がした。
そして僕のこころに『自分の存在自体が感謝される喜びを得る』という新しい夢が降りてきたんだよ。
『あなたが居たから希望を持つ事ができました』
『あなたのおかげで命を救われました』
『あなたのおかげで自分の思いを生きる事ができています』
そう言われる事が僕のこころを救ってくれるんだって気付いたんだね。
神様がくれた『もう少し生きて、人の役に立ちなさい』という言の葉は、人は誰かの役に立つ事を通して本来の自分を思い出し、その本来の自分を生きる知恵だったんだね。

・自己犠牲は愛ではない

「でもその後はそれ以前よりもしんどかったんだよ。」
そう言って苦笑いをした。
人間は誰かのために何かをしようとする時、自分の思いを抑えてでも相手の為に何かしようとしちゃうんだね。
日本では特に自己犠牲は美徳のように語られているけれど、本当は美徳ではない。本当はこうしたいけど、その思いをこころに留めて、その人が望む事はこういう事だろうと頭で考えて行動にする訳で、自分の思いに素直に生きる事を拒否している。
自分の思いに素直に生きていないと、自分が発するエネルギーにもネガテイブなものが含まれてしまうから、引き寄せる現実も本来の自分が望まない世界が現れてしまうんだね。
自分の思いに素直に生きると自分から発するエネルギーがすべてポジティブで、自分に返ってくるエネルギーで創造される世界も自分がポジティブに感じられるものとなる。
だから、誰かが救いを求めた時に大切な事は、今ここで一番在りたい自分を生きて、今ここで一番やりたい事に愛と思いを込める事なんだよ。相手を救う為にあなたの思いを、あなたの人生を犠牲にするのではなく、誰かが救われたいと発した時に、あなたが自分の思いに素直に生きて、今ここで一番在りたい自分を生きて、今ここで一番やりたい事に愛と思いを込めるからこそ、あなたから発するエネルギーがポジティブで完全なる愛となり、それゆえにあなたに返ってくるエネルギーもポジティブで完全なる愛となり、その人が救われて、あなたの存在自体が感謝される美しい世界が現実化されるんだね。

・評価論評しないし、させない

自分に訪れる人、もの、出来事、環境のすべてはあなたの評価論評を受ける為ではなく、あなたのこころに思いを溢れさせてくれる為にあなたの目の前に存在してくれている。
逆にあなた自身も誰かに評価論評される為に存在しているのではないので、誰かに評価論評されるのを求めるのではなく、自己を表現する事にただただ集中する事が大切なんだ。
今ここで一番在りたい自分を生きて、今ここで一番やりたい事に愛と思いを込めて命を注ぐ事があなたという人生をこの世界に現し、あなたの思いに共鳴する人が観ている世界に訪れて、あなたの存在がその人のこころに思いを溢れさせる。
あなたを観た人がどのように観て、どんな思いを感じるのか、どのようにその人の人生に活かすのかはその人自身が決める事であって、誰かにに何かを言われても気にする必要はないけど、その言葉に触れて自分のこころに溢れる思いを感じ、観じてあげる事が大切であり、それがあなたの人生の道標であり、あなたの人生そのものになるんだ。
例えば、あなたが誰かと一緒に居て、今ここで一緒に居る事でこころにしんどいという思いが溢れた時に、そのしんどい自分を表現する事は、相手に対して、あなたの思いと共鳴していない事を示す事になり、それによって相手は嫌な気分になるかもしれないけど、新たに美しく共鳴する人と繋がる機会を提供するきっかけを与えているのかもしれないし、相手が発するエネルギーを本来のその人の美しいエネルギーに戻すきっかけを与えているのかもしれない。
どちらにせよ、今ここであなたにしんどいという思いを溢れさせてくれる為に共鳴し、この出来事を共に創造する為にあなたが観る世界に訪れてくれたその人に感謝と祝福を捧げ、そのしんどい思いをそのままに受け取り、味わい尽くすとこころに決める事で、今度はあなた自身と美しく共鳴する人、もの、出来事、環境が引き寄せられる。新しく訪れる人がその人か、また新しい人なのかは、それぞれのこころに新しく溢れた思いが共鳴しているかどうかで決まるので、その人が相手じゃなきゃダメだとか、その人と違う人がいいというこだわり、エゴを持つ必要はなく、神様は今ここに必要なものを必要な形で必要な分だけ与えてくれると信頼し、委ね、今ここで一番在りたい自分、今ここで一番やりたい事に思いを馳せて、自分のこころがワクワクする世界にこころを満たしてあげる事が大切なんだね。
しんどくなっている自分はダメだと評価する必要はないし、そうなっている自分をその人がどう思っているか気にする必要はまったくないんだよ。それぞれがこころのままに、こころそのままに今ここを生きているからこそ、お互いに今ここで必要なものを必要な形で必要な分だけ与え、受け取る事ができるとこころで知る事が大切なんだね。
こうやって語っている僕の言葉を聴いて、これは素晴らしいから頭に入れておこうとか、この人の言っている事は間違っていて到底受け入れられないとか評価論評するのではなく、僕の言葉に触れて、あなた自身のこころに溢れる思いを大切に感じてみてください。この話しを聴く事、この場にいる事を心地よく思っているのか、逆にこころに怒りや不安が溢れているのか、カラダは話しを聴く以前より軽く感じるか?それとも重だるく感じたり、緊張してこわばっているのか?
いつも、いつでも、どんな時でも、今ここであなたのこころとカラダが感じている事が、あなたの内に存在してくれている神様があなたを本来の自分へと導いてくれていると知っていてください。
耳に聞こえる話しの内容も、目に映るこの場の状況も、あなたに五感を通して見たり、聞いたり、触れたり、味わう事で、心地よさを通してあなたらしさを示してくれ、違和感を通してあなたらしさの反対を示してくれています。
その感覚はあなたではなく、内なる神がいつも、いつでも、どんな時でも、あなた自身が本来のあなたを思い出す為に必要なものとして与えてくれています。でも、あなたの内なる神を動かしてくれている存在こそが、あなたに毎瞬、毎瞬、訪れてくれている人、もの、出来事、環境のすべてなのだから、その一つひとつを頭で評価論評するのではなく、自分に訪れてくれた事に感謝と祝福を捧げて、そのままに受け取り、味わう事ができたら、そして味わう事であなたのこころに溢れる思いの一つひとつをそのままに大切に感じてあげる事ができたら最幸だなって思っています。
あなたの人生はあなたのもの
今ここで共に存在してくれている皆さん一人一人がそれぞれに自分の思いに素直に、自分の思いに正しいこころの在り方で生きて、本来の自分を生きる事を満喫している世界を僕の内奥に存在する完全なる美しき実相の世界に描き、この美しい世界がそれぞれから見える世界に現象化してくれるように、僕のこころの真ん中で、いつも、いつでも、どんな時も祈っています。僕の思いに共鳴し、僕が五感で感じている世界にこうやって訪れてくださって、僕にこの世界は自分が想像する以上にとてつもなく美しい世界なんだという気付きをくださっている事に感謝と祝福を捧げます。
本当に、本当にありがとうございます。

・感情と意思、意識

感情のポジティブ・ネガテイブは内なる神が与えてくれるものなので自分でコントロールするものではないんだけど、今ここで自分に訪れてくれている人、もの、出来事、環境、そしてそれらに触れて自分のこころに溢れる思いに対してポジティブ・ネガテイブなどどのような意識を向けるのかについては、今の自分が決める自由を僕たちは持っているんだね。
こころに溢れる自分の思いに素直に生きるかどうか、自分の思いに正しいこころの在り方で生きるかどうか、内なる神が今ここで必要なものを必要な形で必要な分だけ与えてくれていると信頼するかどうかをね。
いしきというのは自分の意思に気を与える事によって意識になる。こうあって欲しいなという思いを持っていても、自分には高望みだと宇宙に発しないと何も動かない。でも、その望む現実を生きるとこころに決めるとその瞬間に、意識(意思の気)つまりエネルギーとして宇宙に発せられ、それに共鳴するエネルギーが人、もの、出来事、環境として返ってくる。それらに触れてこころに溢れる思いを感謝と祝福の中でそのままに受け取り、味わい尽くし、今ここで在りたい自分はどんな自分だろう?今ここでやりたい事は何だろう?と思いを馳せる。
するとこころに言の葉やイメージが降りてきたり、目の前に気になる人やものがある事に気付いたり、突然これがしたいという衝動が内から起こったりするので、その導きにこころもカラダも委ねて、今ここで一番在りたい自分生きて、今ここで一番やりたい事に愛と思いを込めて命を注ぐ事が大切なんだね。
自分の思いに素直に生きるとこころに決めたり、自分の思いに正しいこころの在り方で生きるとこころに決める、意思する事が意識となって宇宙に発せられます。こころに決めた通りに今ここを生きていたら、つまり内なる世界の自分と同じこころの在り方で生きていたら、こころのままに、こころそのままに自分の内奥に観ている完全なる美しき実相の世界が現実化されるだろうし、少しでも何かこだわりや自意識、エゴがあった場合はそれを克服する経験と学びと成長を得られる出来事が訪れます。
それらが訪れている間も内なる平安を観じるこころの在り方で意識を自分の内奥へと向けて、自分自身の完全性を観じる事が大切なんだけど、それを続ける事に一心集中していたら、いつの間にか痛かったり、辛かったり、苦しいと感じている自分自身を超越した意識で居られるようになり、少しずつでも今ここに与えられている出来事が今の自分が必要としている経験と学びと成長をくれる存在だと感謝と祝福を捧げる事ができるようになります。その先にこそ、自分が想像もできなかったようなシンクロニシティや閃きなどの宝物が用意されてると気付けるようになるんだね。
それを教えてくれた経験がありました。39歳になる1週間くらい前に急に右の耳の下から顎にかけて、尋常じゃない痛みを感じるようになりました。熱も出て、どんどん右頬から首にかけて腫れ上がっていきました。唾をゴクリと飲み込むだけでカラダ全身で飛び跳ねてしまうくらいの痛みだったんだよね。最初の2日間はこの痛みが続き、夜も眠れず、このまま一生この状態でも感謝と祝福を捧げながらそのままに受け取れるだろうかと自答自問の時間を過ごしていました。
そんな中でも、自分の思い、想念が今ここに存在している自分自身の現実を創造して、その現実に必要なものを必要な形で必要な分だけ、内なる神が与えてくださっているのだから味わい尽くそうとこころに決める度に痛みが少しずつ和らいでいきました。
2日間はほぼまったくと言っていいほど寝られませんでしたが、そんな中でも「内なる平安を観じるこころを育みます」と宇宙に発して、自分の内奥へと意識を向けていました。そして3日目の夜にようやく、『僕自身の経験と学びと成長を得る為に自分自身で創造していると知るこころの在り方』で今ここを生きている自分に気付く事ができました。
その時、思いで繋がる方にメールでこの経験と今ここで感じ、観じている事をお伝えすると、その方から『苦しい時にそう思われるなんて、素晴らしいですね。丁度、私はいつも鎮痛剤が手放せられない生理痛を、今朝から、人生初めて薬なしで痛みに向き合うことをチャレンジしてました。抵抗するのを一切やめて痛みに降伏して、信頼していると、不思議と和らいでます。Junさんのメール、とても励みになります。シェアありがとうございます。』というお返事をくださいました。
その時、僕はこんな感じで返信しました。『こうやってあなたとシンクロする宝箱をおたふく風邪という出来事に隠してくれていた神様はやっぱりやんちゃですね。この思いの分かち合い、重ね合う事が真の豊かさであり、真の幸せなんだと再確認する機会をくださり、ありがとうございます。共に今ここに与えてもらっている人、もの、出来事、環境のすべてを味わい尽くしましょうね。あなたという偉大なる存在にこころの真ん中で感謝と祝福を捧げます。本当にありがとうございます。』
このシンクロニシティはふたつの大切な言の葉を僕に届けてくれました。
ひとつ目は
『いつも、いつでも、どんな時も自分の人生を、内なる神の導きを信頼する事の大切さ』
ふたつ目は
『いかなる現実が目の前に広がっていても、内なる平安を観じるこころを育む事の大切さ』
です。
自分に訪れる人、もの、出来事、環境に触れて、自分のこころに溢れる思いをコントロールしようとするのではなく、いつも、いつでも、どんな時も内なる神が自分の人生を導いてくれていると信頼し、感謝と祝福を捧げてそのままに受け取り、味わい尽くしますとこころに決めて宇宙に発する。
そしてネガテイブな感情を味わいながらも、内なる平安を観じるこころを育む意識へとこころを向ける事に一心集中する。
そうすると自分の現実を創造するのをサポートする為に訪れてくれている人、もの、出来事、環境がポジティブな感情、ネガテイブな感情、他のいかなる感情であっても、今ここに存在する自分のこころに思いを溢れさせてくれている事自体が真の豊かさであり、真の幸せなんだと気付く事ができるようになるんですね。今ここで思いを分かち合い、重ね合ってくれているあなたが自分の思いに素直に生きて、自分の思いに正しいこころの在り方で自分の人生に訪れるすべてを通して、自分のこころに溢れる思いの一つひとつを感謝と祝福の中で満喫してくださるように祈っています。ありがとうございます。

・頭で考える習慣と新しい失敗の楽しみ方

自分がやろうと思った事が思わぬ方向に行った時、人間は失敗したって思い、ネガテイブな意識になったり、自分を責めたりしてしまうけど、本当は行動が間違ってたのではなくて、自分の思いに素直に生きていなかったり、自分の思いに正しいこころの在り方で今ここを生きていなかった事で発せられた想念が自分が失敗したと思う現実を引き寄せたんだよね。
でも人間は自分がした行動や言葉が間違っているんだと頭で考えて、それらを訂正しようと必死に頑張ろうとする。『今度はこうしないようにしよう。今度はこうしよう。こんな言葉は使わないようにしよう。今度はこういう言葉を使おう。』どんどん頭で考えてしまうんだね。
でも本当はうまくいっていない現実は自分自身に『自分の思いに素直に生きていないよ、自分の思いに正しいこころの在り方で今ここを生きていないよ』って教えてくれているだけなのだから、今や過去になった行動や言葉に囚われているこころ、内なる神と分離している意識を解放して、内なる神と再び繋がり、内なる平安を感じられる事が大切なんだね。
内なる神の導きを信頼していれば、いつも、いつでも、どんな時でも安らかな気持ちで今ここを生きる事ができる。逆に自分の頭で「こうしなければとか、あのようにすべきだ」と頭で考えている時は、すでに内なる神から自らを切り離し、自分の力でどうにかしようとしている事を意味している。頭で考え始めるきっかけは大抵、「あの時こうやっておけばよかったのに」とか「もしこれをやっておかなければきっと大変な事になる」などネガテイブな意識を過去や未来に向けてしまう事だね。
内なる神の導きを信頼し、こころに溢れる思いの一つひとつに大切に触れながら、今ここで一番在りたい自分を生き、今ここで一番やりたい事に愛と思いを込めていたら、自分の頭で考える必要はないよね。明日の朝は早いから早く寝なくちゃと頭で考えている間は寝られないけど、ほんとに眠たいと思った時には気付かない間に寝ちゃってるようにね。
自分でも気付かない間に失敗したと思った瞬間に自分を責めたり、頭で考え始めるのは習慣になっているからであって、まずはその習慣に生かされている自分に気付いてあげる事が大切だね。それは頭で考えている自分を再び責める為ではなく、ネガテイブな意識でいる事を習慣にして、自分の思いに素直に生きないと決めている自分と向き合う機会を作る事で、その自分に触れてこころに溢れる思いの一つひとつを味わう為なんだ。
味わった後、この習慣を生きる自分が心地よいと思うのなら今までのように頭で考えて言葉や行動にする事が今ここで一番やりたい事になるだろうし、逆に習慣に生かされている自分をもう味わい尽くして、もういやだ、自分の思いに素直に生きたいと思った瞬間に新しい世界の扉が開かれるんだね。
喜怒哀楽のすべてを味わい尽くす為に僕たちはこの世界に生まれてくるのだから、味わい尽くすまでは頭で考える習慣を手放そうとする必要はないし、味わい尽くしたら、内なる神が新しい扉を開けて、新しい現実を通して、新しい経験と学びと成長を得る為に必要な人、もの、出来事、環境を今ここに与えてくださる。今までの世界はネガテイブな意識で生きる習慣を通して喜怒哀楽を味わい尽くす世界だったけど、これからの世界はネガテイブな意識で生きる選択ももちろん続けられるけど、自分の意思でポジティブな意識へとこころを向ける事が自然とできる世界なんだよね。
だから、もし頭で考える習慣を心地よいと思ったとしても、いつかはこの習慣を手放す日が必ず来るんだったら今ここで手放そうとこころに決める事もできる。どんな選択をしても間違いじゃないし、人と違う選択をする事が多様性を生み、この世界をより輝かせている。ただ自分が今こころのままに生きているのか、逆に頭で考えて生きているのかに気付いてあげられているかが大切なんだね。
失敗をして頭で考えている自分に気付きながらも、その習慣を生きる事ができたら、きっとその失敗を新しい感覚で楽しめるかもしれないよね。目の前の現実と頭で考えながら必死で向き合っている自分を少し上から観ている自分。まるで自分が主人公の映画を観客席から観て楽しんでいるようにね。
こうやって話していてもこれだけ可能性が広がっていくのだから、ここにいる一人ひとりがこころのままに今ここを生きたら、無限の可能性が広がっていくし、それぞれの思いを分かち合い、重ね合う事で想像以上の世界が創造されていくんだろうね。今ここを共に生きていてくださり、本当にありがとうございます。そう言って、こころびとJUNは話しを閉じました。

内奥へ
本来の自分を思い出す

・内なる神の言の葉

『内に救いを求めなさい
わたしはいつもあなたの中に居ますから』
「内奥へ、内なる平安」とこころでつぶやき、
お腹に手を添えて、その手の中に広がる温もりを感じます。

・内なる神との和合

『目の前の現実に向いている意識を、自分が五感を通して感じているすべてに神の完全性を観る意識へと変え、今ここに神を現します。』とこころに決めます。
この意識こそ、本来の自分の意識であり、内なる神と繋がる意識、神意識と言うんだね。目の前の現実を評価論評せず、それらに触れてこころに溢れる思いの一つひとつを感謝と祝福の中で味わい楽しむ意識、つまり自分の五感が感じる世界に訪れるすべてがうまくいっていると内なる神の導きを信頼し、すべてを神に委ねる意識の事を言うんだ。
例えば出掛けようと思った時、外は雨が降っていたとするね。その時、雨が降ってるのに出掛けるのは億劫だな~って思ったり、ついてないな~って思ったりする事もできるけど、その意識が雨の中を歩かなければいけない現実、雨に濡れる現実を引き寄せるんだ。
もしもあなたが外は雨が降っていると知った時に、この雨も雨が降っている世界も神が創造しているのだから、『この雨に神と神の完全性を観ます。』とこころに決めて目の前に広がる雨の世界に神の創造物の美しさを感じていると雨に対して先ほど出てきたような自意識が溶け始める。その感覚を味わい、楽しんだら、この世界に感謝と祝福を捧げて、雨に対する意識を解放し、出掛ける準備など今ここでやりたい事に愛と思いを込めて命を注ぐ。すると出掛ける時にさっきまで降っていたはずの雨が止んでいて、雨に濡れる事も、出掛ける事が億劫だと思う事もない現実を引き寄せるんだね。
神意識とは『よろず円満大調和すべてよし』という意識で、その意識に共鳴する世界があなたの前に自然と現れる。
目の前に自分が望まない現実が訪れると『こんな現実を望んではいない』とネガテイブな意識になりがちだけど、そうなっている自分に気付いてあげて、そうなっている自分を責めるのではなく、そうなっている自分を許しますとこころに決める事が大切だね。罪や罰は神が与えるものだと考えている人がいるけど、この世界もあなたも創造した神様は全知全能であり、すべてをそのままに受け入れ、常に愛の光を与えてくれる存在なのだから、創造物であるあなたに罪を着せ、罰を与える事は決してないんだよ。
人間がこころに抱く自分や何かを責める意識、罪の意識を持つ事も、それを許す事も人間がする事なんだ。神様がすべてを許し、受け入れてくれているように、神が持つその意識でいる事が神意識であり、自分に訪れる人、もの、出来事、環境のすべてを一切評価論評せずそのままに受け入れる事が神の完全性を観るという意味なんだ。この神意識でいると内なる平安に満たされる。内なる平安に満たされているからこそ、目の前に現れる世界もその平安を体現する現実となるんだ。
最初は無意識に目の前の現実を評価論評していたり、罪の意識を持ってしまっていて、神意識を持ち続ける事ができないかもしれないけど、その度に『生きとし生けるものすべてに神を顕し、神と神の完全性を観んじます』とこころに決めて、神意識にこころを向け続けていると、こころのままの現実、こころそのままの現実が目の前にある事に気付けるようになる。
そうなると望む現実も望まない現実も内なる神との繋がりを通して自分の思いが創造しているんだとこころで知る事ができるようになる。内なる神と繋がり自分に訪れるすべてに神の完全性を観る意識、神意識をどのくらい持つかで共鳴するエネルギー、目の前の現実に訪れる人、もの、出来事、環境が決まる。
神意識が完全であれば、自分が思い描いた以上の世界、本来の自分が望む世界、神の思し召しのままの世界がそのままに現れるだろうし、意識に歪みがあれば、その歪みが望まない現実を通して、意識の歪みを正す為に必要な出来事を現実化してくれるんだ。
どんな意識を持って今ここをどう生きるかを決める自由を与えられているけど、どんな道を選んでもちゃんと内なる神が導いてくれているんだ。本当に有難い事だね。

・あたなの人生はあなたのもの

どちらにしろ内なる神はちゃんと導いてくれているのだから、あなたが思いを何か言葉や行動にした時に、その相手が嫌な顔をしたり、怒ったとしても、それは彼が自分の持つ自意識やこだわりを手放す為に必要な出来事の一部としてあなたが貢献しているとそのままに受け入れ、感謝と祝福の中で『その人の内に在します神の完全性を観ます』とこころに決める事が大切だね。
別の言い方をすると、自分に訪れた怒っている人に対してネガティヴな意識ではなく、ポジティブな意識を向けるからこそ、自分の内なる平安に満たされ、その意識に共鳴する現実を新たに引き寄せる事ができるんだね。
目の前にある現実ではなく、あなたの内なる完全なる美しき実相の世界が本来のあなたが住む世界であり、その世界が目に見える世界を創造しているんだ。
でも、もしあなたがその人の反応に対して、申し訳ないと思ったり、逆に怒りを覚えたとして、そんな自分に気付いたら、『わたしはわたしを許します。わたしはあなたを許します。わたしはすべてを許します。』とこころに平安が訪れるまで何度も何度も続ける事が大切だね。
それは誰でもないあなた自身が発するエネルギーをポジティブに、本来の自分が持つ純粋な愛に戻す為の作業であり、あなたから見える世界を本来の自分が観ている完全なる美しい世界へと変える作業なんだね。あなたが変わるから世界は変わる。
つまり自分が見ている世界を変えたかったら、自分の思いに対する意識を変える。自分の思いに対する意識が変わるから、あなたが発する言葉や行動が変わり、あなたの目の前に広がる世界も美しい世界へと変わっていくんだね。今ここでどんな意識を持って生きるかを今のあなたが決める事ができる事を知っていてくださいね。
あなたの人生はあなたのものですから。
いつもあなたの内なる神は導いてくれていますから。

・完全なる自分を生きる

意識を向け続けるとその方向にエネルギーが流れ始めます。最初は意図的に意識を向ける必要があるかもしれませんが、それを続けていくと自分の気付かない間にも意識が向くようになっていきます。
完全なる自分を体現するためには、過去と未来への意識に歪みがなく、今ここを生きて、内なる平安に満たされている事が大切です。
今目の前にある現実が自分のこころにポジティブな感情を溢れさせてくれていても、ネガテイブな感情を溢れさせてくれていても、『感謝と祝福の中でそのままに受け取ります』とこころに決め、その感情をこころとカラダで感じ、観じます。
こころにもカラダにも違和感がなくなったら、今度は『内なる平安を観じるこころを育みます』とこころに決めて、内なる平安を味わいます。
するとお腹の辺りに温かさを感じたり、こころとカラダに軽さを感じるので、『内奥へ、内なる神との繋がりを深く観じます』とこころに決めます。
それから、こころとカラダを通して内なる神と繋がり、内なる平安に満たされているのを観じます。
内なる平安に満たされているのを味わい尽くしたら、『わたしは内に在します完全なる美しき実相の世界を観じ、神の思し召しのままに神の御業を今ここに現しています。内なる神の導きに感謝と祝福を捧げます。ありがとうございます。偉大なる存在のサポートに感謝と祝福を捧げます。ありがとうございます。』と宇宙に発します。
ここで言う偉大なる存在とは、ネガテイブ、ポジティブいかなる感情にせよ、自分のこころに思いを溢れさせてくれた人、もの、出来事、環境の事ですね。
これを事あるごとに続けていると、こころとカラダで観じているこの世界こそが本来の自分が生きている世界であり、これが真の豊かさであり、真の幸せなんだなと実感できるようになります。
内奥に観じている世界のすべてが完全・完璧に調和し、生きとし生けるものそれぞれが満月のように本来の美しい輝きを放ち、お互いを美しく照らし合っている世界ですね。
そして、この世界はあなたが内なる平安を観じ、自分の内奥へと意識を向けるといつも、いつでも、どんな時でも今ここに存在してくれているとこころで知る事ができるようになるでしょう。
この世界を観じている完全なる自分を体現するからこそ、完全なる美しき実相の世界を現実化するために必要な人、もの、出来事、環境を引き寄せ、僕たちが現実と呼んでいる五感で感じる世界が、自分が想像する以上に美しい世界なんだと気付く事ができるようになります。
現実とは『実を現す』と書くように、目には見えないけど、こころとカラダで観じている内なる“実”相の世界を目に見える世界に“現”す事を言うんですね。
内なる実相の世界を観じていると直観やひらめきが降りてきたり、急に何か行動したくなる衝動が内奥から起きて頭で考える前に行動している自分に気が付いたり、思いで繋がる存在とのシンクロニシティを通して自分が奇跡だと思う世界が目の前に広がっている事に気付く事ができるようになります。
だから、今ここで自分のこころに溢れている感情がいかなるものであっても、感謝と祝福の中でそのままに受け取るとこころに決め、内なる平安を観じるこころを育みますとこころに決め、内なる神と深く繋がるとこころに決め、内に在します完全なる美しき実相の世界を今ここに現していますと深く観じる意識にこころを向け続ける事で完全なる自分を体現し、その本来の自分が生きている実相の世界を現実化する事ができるんですね。

・第6章を書き終えて

ここに書き記している文章すらも僕が頭で考えて書いているのではなく、内なる平安を観じ、内なる神と繋がり、完全なる自分を体現している時にひらめきとして降りてきて、こころに描かれるイメージや映像や言の葉を通して書かせていただいています。
だから書き終えた後、自分がこんな事を書いているのかと感心しながら書いています。まさに本来の自分が生きる世界を魅せていただいている感じです。なぜ僕は今この文章を書いているのだろうと思いながらも書き続けていると、書く前にこころに決めた通りにストーリーが進んでいる事に気付かされます。
ここに登場する和希くんも本当に出会えたんだと僕自身も思っているくらいに実感として感じています。
物心ついた頃からこころに思い描いていた魂が打ち震えるほどの美しい世界が徐々に明確になっていく中で、僕の内に在します完全なる美しき実相の世界にすでに存在し、このように僕たちが五感で感じる世界に言の葉として現実化している事に、そしてその事に気付かせていただけている事に感謝と祝福を捧げたいと思います。
次の章からは和希くんがどのように自分のこころと向き合い、思いで繋がる存在たちと完全なる美しき実相の世界を五感で感じる世界に創造していくかを書くとこころに決めましたが、どんな展開になるのか今の僕自身にも分かりません(笑)
でも、内なる平安を観じ、内なる神と繋がる事で、ひらめきを通してどんなイメージや映像、言の葉が降りてくるのかワクワクしながら今ここを生きようと思います。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
この言の葉が、あなたが自分の思いに素直に生き、こころのままに、こころそのままに、あなたの人生を満喫するのに貢献してくれるように祈っています。
あなたとの出会いに感謝と祝福を捧げます。
ありがとうございます。

和合 – 愛と思いを込めて命を注ぐ

・誰かを救う事は自分が救われる事になり、与える事は受け取る事となる

和希くんがこころびとくうかんにいる間に自分を変えたいと思い始める。その為に和希くんは何かを学んだり、得ようとして一生懸命になっていた。しかしその度に自分のこころと向き合う課題が訪れる。
そんな時、こころびとJUNさんと話す機会があった。
「塔の上のラプンツェルというディズニーの映画を観た事があるかな?彼女は捕らわれの身である事に気付かないでいた。でも塔の中でしか居られない現実を味わいつくした時にそこから出たいという衝動に導かれる。でも捕らわれていたのは本当は自分が今までに造り上げた色眼鏡という自意識であって、この自意識という殻から出たいという衝動だったんだね。この衝動は自分の中の不足の意識を正すために内から起きたので、塔の外に出てからは自分の思いと向き合う課題が何度も何度も訪れる。塔から出た時に自責の念に駆られたりね。
最後にユージーンという大切な人を失うかもしれない状況でユージーンの愛の深さを知る事で、自分は愛で包まれ、満たされているという意識に変わる。自分が満たされていると知った時に受け取る以上に与える事に意識が向き、その満たされる意識に共鳴するようにユージーンを救うという現実もこころのままに生きる現実も創造する事ができたんだね。
ユージーンも最初は手に入れたティアラを取り戻すために行動していたけど、これは自分に入る入り口を開けようとしているから、不足の意識であり、その意識を正すために必要な課題が訪れる。そして最後に自分を救う為にラプンツェルが言葉と行動を示してくれたのを見てラプンツェルの愛の深さを知り、自分は愛に満たされる事に気が付いたんだ。その愛に満たされている意識に共鳴するように内から溢れる衝動に導かれて行動し、ラプンツェルを愛で包み、満たし、ラプンツェルが求めていた自由を受け取れる現実を創造し、また自分自身が救われる現実も創造したんだね。
呑み屋さんで出会い、夢という思いを分かち合った仲間たちも、思いを分かち合う事で満たされているという意識にこころが向き、ラプンツェルの夢が叶うように何かしたいという衝動に導かれて、思いを行動にしたので、最後にはそれぞれの夢が叶う現実を与えられる。
それぞれが今ここで在りたい自分を生き、今ここでやりたい事に愛と思いを込めて命を注いだからこそ、自分たちが想像していた以上に美しい現実を受け取る事ができたんだ。
与える喜びを味わう為に今ここで一番在りたい自分を生き、今ここで一番やりたい事に愛と思いを込めて命を注ぐ。そうする事で誰かを救う事ができ、その現実を受け取り、味わう事で自分自身が救われていると気付けるんだね。まさに思いで繋がる人たちがそれぞれの思いを分かち合い、重ね合う事でこの素晴らしい現実を創っていったんだ。
本当に必要な事は与える事だった。でも相手が望む事や相手はこれをして欲しいと思っているだろうと自分で考えて行動する事は自己犠牲であり、また新しい課題を引き寄せる事になる。だから、まずは与える喜びを味わいますとこころに決め、今ここで在りたい自分、今ここでやりたい事に思いを馳せる事が何よりも大切なんだね。
ディズニー映画の『モアナと伝説の海』では、モアナのお父さんに海には出ず、村長になって村に残ってほしいと言われたけど、言われた言葉自体ではなく、言われた言葉に触れてこころに溢れる思い、内なる神の声にこころを向けて大切に味わう事で起こる内なる衝動に導かれるように行動していくんだね。自分の思いに素直に生きて、今ここで一番在りたい自分を生き、今ここで一番やりたい事に愛と思いを込めて命を注いだからこそ、村を救う事ができたんだね。
マウイにしても最初は自分の為に行動していたけど、最後には自分の大切な釣り針を失ってでもモアナを救おうと行動したからこそ、神様から新しい釣り針をもらい、こころのままに生きる自由を手にしたんだ。

・感情のすべてが自らの内奥へと向かわせるチカラ

自分は満たされていないという不足の意識が与えてくれる人、もの、出来事、環境を感謝と祝福の中でそのままに受け取り、味わい尽くす事で、目に見える外の世界に向いている意識を自分の内奥に向け直してくれる。自分自身と向き合い、内奥に存在する神と繋がる意識にこころを向けて、自分の内から溢れる愛の光に包まれ、満たされるからこそ、目に見える外の世界も愛の光に包まれた美しい世界に変わっていくんだね。
もし自分を変えたいと思うなら、目の前の現実に触れて、どんなにネガティヴな意識になっていても、ネガティヴな意識にこころが向いている自分を責めたい気持ちになっていても、今ここで自分に訪れてくれている人、もの、出来事、環境に触れて、こころに溢れる思いの一つひとつを大切に味わい尽くしますとこころに決めて、自分の内奥に存在する内なる神を深く観じてみてごらん。そこにこそ和希くんが求めている本当の自分が存在するから。
いつも本来の自分を生きるのを妨げるのは、目の前にある現実ではなく、目の前の現実と向き合っている自分自身なんだよ。自分の内奥に存在し、完全なる美しき実相の世界を、愛の光に包まれ満たされている本来の自分を観せてくれている内なる神と繋がるこころの扉を開くかどうか、目の前の現実ではなく、自分自身と向き合うかどうかをいつこころに決めるかも、あなた自身が選ぶ事ができるんだよ。」
こころびとJUNさんにそう言われた瞬間、ある女性がオルゴナイトを作るという自分の夢を聴かせてくれた事を思い出した。その為に何かしたいという衝動が和希くんの内から溢れてきて、内なる神に導かれるように動き始める。
思いを形にするスペースが愛&AIランドにはまだなかったので、ものづくり工房を作るとこころに決める。するとその思いに共鳴する人たちが集い始め、思いを分かち合い、重ね合う。
石鹸を作りたい人や陶器を作りたい人、布オムツや布ナプキンなどの布製品を作りたい人、自然に溶け込むような空間を創りたいと思っている人たちとものづくり工房を作る。屋根はあるけど外と一体となっているような空間が生まれ、そこでそれぞれの思いのままに様々なものに命が注がれ、創造されていく。

・達成感以上に充実感を大切に生きる

和希くんはものを作る事はなかったが、この工房を作り、たくさんの思いが形になっていくのを見る中で自分のこころが救われている事に気が付き、自分が生まれる前に選んだ人生は思いで繋がる人たちが思いを現実化する為に必要な空間を創造する事なんだという確信を持つ。
その思いに導かれるように思いで繋がる人たちの思いが現実化される様々な空間を創っていく。様々な空間が思いの数だけ創られていく中で、空間を作る事に意味があるのではなく、思いを分かち合い、重ね合う事でエネルギーの流れが生まれ、そのエネルギーの流れの中に空間ができ、その空間で思いが目に見える現実として現れると和希くんは実感する。
ものづくり工房の前で幸せそうな顔で空を見上げている和希くんの右手にはあの女性が愛と思いが込めて命を注いだオルゴナイトが輝いていた。

・神を現し、神の完全性を観じる

こころびとJUNさんと二人で話す機会があった時に「こころびとJUNさんのお話しを聴かせてもらったおかげで、思いで繋がる人たちと本当に美しい世界を創造する事ができています。ありがとうございます。」と伝えると、
「僕はただ和希くんの内に神を現し、その完全なる美しき実相を観じながら、こころのままに話をさせてもらっただけだよ。その言葉に触れて自分のこころに溢れる思いに素直に生きてくれていた和希くん自身のおかげだよ。
こうやって和希くんが素晴らしい、美しいと思えるのはその対象に和希くん自身が神を現し、神の完全性を観ているからなんだね。自分の内にも、五感を通して見ている世界にも神を現し、神を観る意識で今ここを生きるからこそ、今ここに与えられているすべてが豊かさであり、それらをそのままに受け取っている自分自身が豊かさそのものであると知る事ができる。
今の和希くんは満月のように美しく輝いているから、僕も含め、たくさんの思いで繋がる人たちを美しく輝かせる為のワンピースになってくれている。こちらこそ、僕が想像していた以上に美しい世界をこうやって観せてくれて、本当に感謝しているよ。和希くん、ありがとうね。」と話してくれました。
またある時、「思いで繋がる人たちがこころびとくうかんで思いを形にしていくのを観ているとみんな魂レベルでは本来の自分を知っているんだなと思いました」とこころびとJUNさんに話すと
「本当にそうだね。その人のこころに溢れる思いや発する言葉や行動のすべてが本来の自分を現しているけど、ただ本人がその事に気付けていないだけなんだよね。会った時に話したように、英語で現実はrealと書いて、気付くはrealiseと書く。現実とは目の前にある世界に気付く事で生まれるんだね。こころのままに、こころそのままに自分の思いに素直に今ここを生きている自分を観じる事ができた分だけ本来の自分を思い出す事ができる。こころのままに、こころそのままにね。」と話してくれました。

完全なる自分を体現する – 内に広がる愛の光

・感謝の気持ちが新しい感謝を生む

僕は思いで繋がる人たちと思いを分かち合い、重ね合い、自分が想像していた以上に美しい世界が目の前にある事に気付く度に、思いを重ね合った人たちから感謝され、また自分のこころにも感謝の気持ちが溢れ、与える喜びを味わう共に、与える喜びこそが受け取る喜びなんだと知りました。
思いを分かち合う事で僕の思いが誰かの思いと重なり、思いを重ね合うから誰かの思いが自分の思いとひとつになり、誰かの思いが形になる為に、今ここで一番在りたい自分を生き、今ここで一番やりたい事に愛と思いを込めて命を注ぎたいという衝動が内奥から起こってきます。
こころのままに内なる神に導かれていると、僕が感謝と祝福の中でそのままに受け取り、味わっている世界が僕のこころもカラダも包み、満たしてくれている事に気付く事ができました。
五感で感じる世界が内に在します完全なる美しき実相の世界とひとつになっていく。
その瞬間、僕が感じ、観じているすべてが僕自身を現す為に今ここに存在してくれているんだと実感する事ができました。
完全なる自分を体現している時は言葉では表現できないほどの歓喜と至福に満たされています。
僕はこれからも思いで繋がる人たちがこころのままに、こころそのままに自分の思いに素直に生きる為のワンピースであり続けるために、今ここで一番在りたい自分を生き、今ここで一番やりたい事に愛と思いを込めて命を注ぐとこころに決めました。
そして僕と同じように自分の思いに素直に生きたいと願う人たちと思いを分かち合い、重ね合う為に日本中へと旅に出るとこころに決めました。
出発する前日、こころびとJUNさんから『こころびとくうかん 自分の思いに素直に生きる – こころのままに こころそのままに』という本を渡され、ここに書かれている少年が自分である事を知りました。
こころびとJUNさんから「あなたが僕の内に在します完全なる美しき実相の世界に来てくれて、本当に美しい世界を観せてくれたからこそ、この思いで繋がるコミュニティこころびとくうかんが生まれたんだよ。和希くん、本当に、本当にありがとうね」と感謝されました。

その本の最後に
『この本をこの少年に、そしてこのコミュニティをこれからの美しい世界を生きる人たちに捧げます』と書かれていました。
そして僕は日本の思いで繋がる人たちのもとへ、こころびとJUNさんは世界の思いで繋がる人たちのもとへと旅立ちました。

・ この本のおわりに、新しい世界のはじまりに

あなたと思いを分かち合い、重ね合い、自分たちが想像する以上に美しい世界を共に創造する日が来るのを楽しみにしています。
あなたとの出会いに感謝と祝福を捧げます。

ありがとうございます。

こころびとJUN
jun@kokorobito.jp