感情と意識
感情的理解を通して自分自身を知り、愛を知り、神を知る
意識を通して自己を創造し、
表現を通して自己を現し、
感情を通して自己を認識し、理解する
電子書籍版
http://kokorobito.main.jp/Kokorobitobook2.epub
PDF版
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意識 -自分の意思からすべてが始まる-
・呼吸からこころを整える
お腹から肺へと徐々に空気がたまっていくイメージをしながら鼻からゆっくりと息を吸います。
無理のない程度までたまったら、吸った時間よりも長いイメージで鼻からゆっくり息を吐きます。
吸う息に合わせてエネルギーが入り、吐く息に合わせてエネルギーが出て、地球と自分の間をエネルギーが循環しているのを想像します。
しばらく続けてながらカラダの変化を観じます。
お腹のあたりや足先などに温もりを感じたら、それは呼吸を通して地球との繋がりを観じている証拠です。
その頃には、無理にこころを静めようとしなくても、こころが平安に満たされている自分に気付けているかもしれませんね。
もし温もりを感じないならもう一度息の流れに合わせてエネルギーが循環している自分に意識を向けます。
頭で考えて無理に意識を平安に保とうとするよりも、ゆっくりとした呼吸を通して平安を実感できたら最幸だなって思います。
その時に、こころびとカラー音叉チューニングがお役に立つかもしれません。
内なる神との繋がり
こころのままに、こころそのままに
ありがとうございます。
こころびとJUN
・観念の世界と感覚の世界
わたしたちはふたつの世界を行き来しています。
ひとつはこころで観じる実相の世界で、この世界は自分が意識を向ける方向に伴って自由に想像し、創造できる観念の世界です。
もうひとつは五感で感じる“現実”と言われる世界で、意識的であれ、無意識的であれ、こころで観じている世界を五感を通して現し、経験し、学びと成長を得る感覚の世界です。
現実は実を現すと書くように、こころで観じている実相を現す事を言います。
もしも五感で感じる世界にネガティブな感情を生む存在があるのなら、それは実相の世界において自分の意識がネガティブな方向に向いていることが原因です。
実相の世界は、本来ならば誰にも邪魔されることなく自由に想像し、創造できるので、自分が美しいと観じる世界を描けるはずですが、
自分の意識がネガティブな方向に向いていたり、常識や誰かに言われた言葉などの自分以外の意識を、‘意識的’または‘無意識的’に加えてしまう事で、ネガティブな感情が溢れてしまいます。
ネガティブな感情がこころに溢れると、
「今ここに与えられている現実は自分が望む世界ではない」
「こんな感情は味わいたくない」
と無理に意識を外そうとすること自体がネガティブな意識を強めてしまうので、
望まない現実を創造するための人、もの、出来事、環境ばかりを引き寄せてしまいます。
そのままネガティブな感情を味わっている自分や状況を責めて、より深くネガティブな感情を感じる事もできますが、
ネガティブな感情を味わい尽くし、こころの底からその感情を手放したいと思っている自分に気が付いたら、
1、笑顔を作り、深呼吸しながら呼吸を整えます。
2、ゆっくりと呼吸しながら、カラダを出入りする空気に意識を向けます。
3、五感を研ぎ澄まし、ただただカラダに感じる感覚、こころに溢れる感情を味わいます。
4、カラダに感じる違和感、こころに感じる拒否感がなくなり、心地よいと感じるまで続けます。
5、こころが落ち着いたら、この感覚を味わう機会をくれた自分自身に感謝と祝福を捧げます。
「わたし、ありがとうございます」
とこころでつぶやき、自分自身を愛の光で包み、満たします。
いつも、いつでも、どんな時も、どのような意識でこの世界を感じ、観じるのかを今の自分が決める自由を持っていると知っていてください。
こころのままに、こころそのままに
ありがとうございます。
こころびとJUN
真の自己
神我が創造し、自我が行動し、真我がその美しさを観じる。
神我
真の自己創造
自我
真の自己表現
真我
真の自己実現
完全なる自分
今に立ち、自我の過去と未来への意識にゆがみがなく、真我が発するエネルギーのすべてが愛と光であり、神我が創造する世界が完全・完璧である時、今ここに神を観る。
[真の自己を生きる]
《自己創造》
純粋な意識を創造する
《自己表現》
神を現す
《自己実現》
より神となっている自己に気付く。
[もし真の自己を生きていなければ]
・外に向いている意識を内へと向け直す。
・呼吸を整える。
・内なる平安を感じる。
・カラダとこころで感じ、観じていることを観る。
・今ここで一番在りたい自分を生き、今ここで一番やりたいことに愛と思いを込めて命を注ぐ事を自分に許可する。
・今ここで一番在りたい自分を生き、今ここで一番やりたいことに愛と思いを込めて命を注ぐ。
・感謝と祝福の中、経験と学びと成長を通して気付きを得る。
・感情を味わう
意識が五感を通して感じられる世界を生成する。
その中で行動する事で感情が生まれる。
その感情がポジティブだと感じるものであれば真の自己が味わいたいと思っている感情であり、
ネガティヴだと感じるものであれば、意識を向ける方向が本来の自分が観ている方向とは違うよと教えてくれている。
感情を味わう事が今の意識の方向性と真の自己を知るきっかけをくれる。
こころのままに、こころそのままに
ありがとうございます。
こころびとJUN
・自分の意思で決めることができる
美しいと思えるこころでいるから、美しさに気付き、感じる事ができます。
目の前や世界中でどんな事が起こっていても、
今ここでどんな感情を味わうのか、
どんな意識でこころに映る世界を観るのかを
今の自分が決める事ができます。
ポジティヴな感情を味わう事も、ネガティブな感情を味わう事も、
こころに映る世界に対して、ポジティブな意識を向ける事も、ネガティヴな意識を向ける事も
はたまた、外の世界に向いている意識を自分のこころとカラダに、観感の世界に向け直す事も
今の自分が決めることができると知っていてください。
こころのままに、こころそのままに
ありがとうございます。
こころびとJUN
・自分の意識が自分の現実を創造している
英語で現実はrealと書いて、気付くはrealiseと書きます。
現実とは目の前にある世界に気付く事で生まれます。
自分の意識がポジティブに向いていれば、目に映る世界を通してポジティブな感情を味わっている現実に気付き、
反対に、意識がネガティヴに向いていれば、目に映る世界を通してネガティヴな感情を味わっている現実に気が付く事ができます。
どんな世界が目の前に広がっていても、自分の意識が自分の現実を創造していると受け入れる事が、
自分の思いに素直に生きる為の大切な一歩なんだと思っています。
こころのままに、こころそのままに
ありがとうございます。
こころびとJUN
・五感で感じる世界を輝かせるために
鳥は人間が歩くように飛んでいる
魚も人間が走るように泳いでいる
雲は人間が野原で寝転ぶように空に横たわっている
人間にも
42.195キロを走る事が当たり前の人がいれば、円周率をすごい桁まで記憶している人がいたり、一つの神を信じる人がいれば、すべての存在に神を観ている人もいる。
これらの違いを生んでいるのは意識だ。
鳥が自分は飛ぶ事などできないと思ったら飛んでいないだろうし、魚も早く泳げないと思っていたら泳いでいない。
マラソンを走りきった人には42.195キロを完走する事なんて出来っこないという意識はない。
それが当たり前にできるという意識だからこそ、実際にそうなっている。
この世界に存在するすべてに何らかの意識が働いているからこそ、そのように存在し、活動している。
~ができるとこころで知るその時まで意識を働かせて、想像し続ける。
そしてそれを意識的に思考しようとしなくてもその思いが当たり前となった時に、そうなっている現実が目の前に広がっていると気付く。
意識がこの世界を生成している
今目の前に広がる世界が自分が望むものであろうと望まないものであろうと、その世界に触れてこころに溢れる思いの一つひとつが新しい現実を創造していく。
その思いの一つひとつがこころとカラダを通して感じさせてくれる観感の世界を味わい尽くすために、意識を内側に、自分のこころとカラダに向け、感覚を研ぎ澄ます。
耳に聴こえる音、鼻に香るニオイ、目に映る風景、カラダの緊張感などカラダ全体で感じ、こころで観じる。
意識を向けた時よりもカラダに軽さを感じているのか、それとも重く感じているのか。
こころは穏やかだろうか、それとも何か違和感を感じているのだろうか。
その一つひとつが今のこころの在り方が自分の思いに素直に生きているかどうかを示してくれている。
“常に喜びの中に生きるのは、とてもシンプルです。あなたがそれに値すると知るだけで良いのです”
この言の葉に触れる度に僕のこころは温もりに包まれ、カラダは緊張感がほぐれ、軽くなるのを感じる。
五感で感じる外の世界に価値を見い出す以前に、自分の存在は自分が望む世界に値する、自分自身に価値があると認識する事ができた時、五感で感じる世界の輝きがより一層増すのを深く感じる。
こころのままに、こころそのままに
ありがとうございます。
こころびとJUN
・感情を通して自分の意識の方向を知る
目を通して見ているものも、鼻を通して嗅いでいる香りも、肌を通して感じている触感もすべて脳の中で感じています。
五感を通して自分自身の中に描かれる世界は意識的に、または無意識的に意識を向ける事で自分の脳の中に創造されます。
悲しい世界が描かれている時は意識が悲しみに向き、
嬉しい世界が描かれている時は意識が嬉しさに向いているからこそ、
五感で感じている存在を通して内なる世界が創造され、感情がこころに溢れます。
このように脳で創造した世界を通してこころに溢れる思いの一つひとつが、自分の意識がどちらに向いているかを教えてくれています。
自分が今感じている感情を通して、自分の意識の方向を知る事ができるので、
しばしこころに溢れる思いの一つひとつを大切に感じてみてもいいかもしれませんね。
こころのままに、こころそのままに
ありがとうございます。
こころびとJUN
・こころに溢れる思いを一つひとつ大切に味わう
「その感情を味わいたかったんだね」
と、ネガティブな感情を味わっている自分自身をも愛し、許し、受け入れる。
ネガティブな意識を持っているからこそ感じることができるネガティブな感情を味わっている自分自身をそのままに受け入れる。
こころに溢れる思いが、ネガティブであろうと、ポジティブであろうと、今ここでしか味わえないものだと知っているから。
こころのままに、こころそのままに、今ここを生きている自分自身だからこそ、美しさを、豊かさを、幸せを全身で感じることができる。
純粋な意識であればあるほど、五感を通して感じている自分自身をそのままに感じることができる。
こころのままに、こころそのままに
ありがとうございます。
こころびとJUN
・第三の眼で観じる時、本来の自分への道が開かれる
人間は本来、客観的な視点を持ち合わせていません。
何かに意識を向ける時、すべては主観で捉えていると気付く経験、「自分の意識がこの世界を創造している」と気付く経験をする機会を促します。
意識は、何かを観るという意思により生まれる気(エネルギー)の流れです。
つまり何かを観る事自体が主観であり、どれだけ客観的に観ようと意識を解放しようとしても意識を向けている分だけ主観的に物事を捉えています。
目に映るすべての物事が自分のこころに思いを溢れさせてくれる存在であり、元々は自分自身が意識的であれ、無意識的であれ、意識を発する事により、五感で感じる世界にその姿を現してくれます。
意識が神意識にまで高まる事ができた時、つまり主観を突き詰めた先にこそ、五感を超えた客観の世界(完全なる美しき実相の世界)が出現します。
ですから、客観的に物事を捉えようと意識するのではなく、
主観的に意識を向けていると自覚して、感覚を研ぎ澄まし、
物事に触れて、五感を通したカラダの反応やこころに溢れる思いを深く感じ、観じてあげてください。
自分が五感を通して感じている感覚は心地よいのか、それとも心地よくないか、
こころに溢れる思いをポジティブだと観じているのか、ネガティブと観じているのか。
その一つひとつが本来の自分、内なる神と繋がる自分へと導いてくれます。
自意識というフィルターを通さずに曇りなきまなこで観るというのは
肉体の持つ2つ目のでなく、第三の眼で観る事、つまり神意識で世界を観じる事を言います。
ですので第三の眼を開く事が重要なのではなく、
曇りなきまなこで観じる意識(神意識)にこころを向け続ける事が重要であり、
その意識を持っている事が第三の眼を開かせてくれます。
こころのままに、こころそのままに
ありがとうございます。
こころびとJUN
・内なる世界に敏感になる
周りに鈍感である時、内なる世界に敏感になっている。
五感を通して見る世界に触れて、無理に何かに気付こうとしなくていい。
意識を内に向け、内なる平安を観じることを自分に許し、内なる平安を味わうだけで、
五感を通した世界の美しさに気付く事ができるのだから。
・瞑想を通して自分自身を深く観じる
意識がこの世界を創造します
目を閉じ、瞑想することの意味がここにあります。
人生の行き先を外に委ねるのではなく、自分の内奥に存在している内なる神へと、他力本願から自己責任へと戻します。
外の五感を通して感じている世界は、外に向いている意識を自らの内側へと戻し、自らを創造し、表現し、実現していくきっかけをくれる存在です。
内なる導きに委ね、水晶のように透明なこころでこころとカラダに起こる変化を観じ、感じてください。
その変化の一つひとつがあなたを本来のあなたへと導いてくれています。
その変化にも、その変化という体験をくれている存在にも、それを感じている自分自身にも感謝と祝福を捧げ、味わい尽くしましょう。
その先にこそ、光溢れる美しき実相の世界が広がっています。
あなたの人生はあなたのもの
あなたの存在自体が愛であると気付く事ができますように。
ありがとうございます。
こころびとJUN
・感謝と祝福を捧げる
意識を未来の記憶に合わせる事でその周波数へと繋がり、その現実が顕現される。
この世界はパラレルワールド(並行して存在する別の世界)であり、どの未来を選択するかを今ここの意識が決める事ができる。
どの未来を選択してもすべては本来の自分へと繋がっている。
今ここの意識を通して与えられる現実は、その意識に必要な経験と学びと成長を得る機会であり、
その現実の中の人、もの、出来事、環境のすべてが、本来の自分(真の自己)を思い出すのに貢献してくれている。
ここにこそ、五感で感じているすべてに感謝と祝福を捧げ、そのままに受け取り、
こころとカラダで観じ、感じて、味わい尽くす事の大切さを感じる。
こころのままに、こころそのままに
ありがとうございます。
こころびとJUN
・自分が変わると世界が変わる
どのような意識でこころに広がる世界を観るかを今の自分が決める事ができる。
喜びを味わうのか
悲しみを味わうのか
怒りや不安を感じるのか
それとも内なる平安を感じるのか
どのような感情を味わうのか
どのような許可を出すのかをいつでも今の自分自身が決める事ができる。
美しさを観る事も愛を感じる事も、その逆を感じて味わい尽くす事も
自分の意思からすべてが始まる。
ありがとうございます。
こころびとJUN
・思いが言葉となり、言葉が行動となり、
行動が日々の生活となり、日々の生活が人生となる
『本来の自分(真の自己)を生きる』
『こころのままに、こころそのままに、人生を満喫する』
のは、
自分の思いに素直に生きることから始まる。
自分に訪れる人、もの、出来事、環境に触れて、今自分のこころに溢れる思いの一つひとつを大切に感じる。
誰かの話す言葉、ここに書かれている言の葉、目の前に広がる世界ではなく、それらに触れて、今自分のこころに溢れる思いにこころもカラダも満たす。
感覚を研ぎ澄まし、曇りなきまなこでただただ感じる。
自分の内奥で深く感じる。
そうしている自分自身と向き合い、今ここで一番在りたい自分、今ここで一番やりたい事に思いを馳せる。
そして内奥から溢れ来る内なる衝動に導かれながら、今ここで一番在りたい自分を生き、今ここで一番やりたい事に愛と思いを込めて、命を注ぐ。
それを続けている内に、本来の自分を思い出し、こころのままに、こころそのままに人生を満喫している自分自身に気付く事ができるようになる。
自分自身の存在自体が愛なんだと気付く事ができる。
こころのままに、こころそのままに
ありがとうございます。
こころびとJUN
・今
わたしという人生の一番の立役者はわたしという存在すべての創造の根源であるわたし
人生のプログラミングは生まれる前にしている。
自分自身が、それをいつ、どのようにアクティベートさせるのかを “今” 決める事ができる。
過去も未来も “今” という瞬間の連続性の中にある。
毎瞬、毎瞬をどう生きるか
真の自己を生きるのか
自己創造・自己表現・自己実現を通して経験と学びと成長を得るのか
今ここでどのような感情を味わいたいのか
どの選択も自らの内に存在する神への道
どんな道を選んでも必ずたどり着く境地
それが神
それが真の自己
・自分だからこそ感じられる美しさ
五感を通して自分が感じられる美しさをそのままに感じるために今ここを生きている。
そのために感覚を研ぎすまそう。
自らの主観を突き詰めた先にこそ、言葉にはできないほどの美しい世界が広がっている。
“今”というこの瞬間に、自分だからこそ感じられる美しさを、愛を、光を、神をそのままに味わい尽くそう。
自分だからこそ感じられる美しさも、愛も、光も、神もすべてが自分の内に存在してくれている。
自分の存在自体が美しさそのものであり、愛であり、光であり、神だと、こころで、カラダで知るために
僕たちは今ここを生きている。
“今”という瞬間、瞬間の感情を味わい尽くすために、僕たちは“今”この地球に存在している。
こころのままに、こころそのままに
ありがとうございます。
こころびとJUN
気付き
“あなたは気付きです。気付きはあなたのもう一つの名前です。あなたは気付きであるがゆえに、何かを取得したり鍛錬する必要はありません。やるべき事は単に、自分でないものに気付くのを止めるだけです。人が自分でないものに気付く事を止めたら、純粋な気付きだけが残ります。それがあなたです”
~ラマナ・マハリシ~
・感覚と感情と意識の関係
視覚、聴覚、味覚、臭覚、触覚という五感で感じたことをどのような感情で味わうのかを決めるのは、その時の自分自身の意識です。
自分自身の意識がネガティブな時は美しい世界を美しいと感じられなかったり、
さっきまで美味しいと思っていた食事も、意識がネガティブな方向に向いた途端に美味しいと思えなくなります。
美しい、美味しいという感情を生んでいるのは自分自身の意識です。
逆に、その美しさに気付かない選択をしているのも自分自身の意識です。
どんな変化が五感で感じる世界に訪れても、どんな意識でその世界を感じ、どんな感情を味わうのかを今の自分が決めることができます。
ネガティブな感情は自分自身の意識の方向性が違うと教えてくれているし、
ポジティブな感情は本来の自分が観たいと思っている世界をそのままに味わう機会をくれています。
ネガティブな感情も、ポジティブな感情も、
その感情を生み出すきっかけをくれる五感という感覚も、
本来の自分(真の自己)を知り、愛を知り、神を知るために
どのような意識を持っているかを示してくれています。
ネガティブな感情も、ポジティブな感情も、五感を通して感じる感覚も深く感じることでこそ、
自分自身の意識の方向性を知ることができます。
目の前にどんな世界が広がっていても、こころに感じる感情がどんなものでも、それを味わっている自分自身と向き合うことを大切にできたら最幸だなと思っています。
こころのままに、こころそのままに
ありがとうございます。
こころびとJUN
・わたしの体験
2018/06/18
今日の大阪北部の地震での我が家の震度は5弱でした。
神戸の震災も経験しましたが、その時とは比べものにならないくらいに揺れました。
揺れが始まると同時に自分の足が震えているのを知った時、これも今ここで必要な経験を受け取っているんだと思い、外の世界ではなく、自分のこころとカラダに意識を向け、感覚を研ぎ澄ましていました。
揺れが収まり、周りを見渡すと、コップやお皿が落ちて割れたり、デスクトップパソコンやらプリンターやら大きなものから小さなものまで色々なものが落ちていました。
そのあと、ベランダに出るとまるで何もなかったかのように太陽が世界を照らし、雲がゆっくり流れ、心地よい風が頬を優しくなぜてくれた時、今までには感じた事のないくらいの歓喜と至福がこころに溢れてきました。
この経験から、いつも、いつでも、どんな時も、自分の内側に意識を向け、内なる平安を感じながら、こころに溢れる思いの一つひとつを大切に味わう事が人生に豊かさと幸せをもたらしてくれるんだと確信する機会となりました。
その後の片付けでも今必要のないものを手放す機会を受け取っているんだと気付き、嬉しい気持ちで片付ける事ができました。
この経験に感謝しながら、今ここで共に生きている方々それぞれが、いつも、いつでも、どんな時も、内なる平安を感じられるように、愛と思いを込めて僕のこころの真ん中で祈ります。
ありがとうございます。
こころびとJUN