観念の世界と感覚の世界

わたしたちはふたつの世界を行き来しています。

ひとつはこころで観じる実相の世界で、この世界は自分が意識を向ける方向に伴って自由に想像し、創造できる観念の世界です。

もうひとつは五感で感じる“現実”と言われる世界で、意識的であれ、無意識的であれ、こころで観じている世界を五感を通して現し、経験し、学びと成長を得る感覚の世界です。

現実は実を現すと書くように、こころで観じている実相を現す事を言います。

もしも五感で感じる世界にネガティブな感情を生む存在があるのなら、それは実相の世界において自分の意識がネガティブな方向に向いていることが原因です。

実相の世界は、本来ならば誰にも邪魔される事なく自由に想像し、創造できるので、自分が美しいと観じる世界を描けるはずですが、

自分の意識がネガティブな方向に向いていたり、常識や誰かに言われた言葉などの自分以外の意識を、‘意識的’または‘無意識的’に加えてしまう事で、ネガティブな感情が溢れてしまいます。

ネガティブな感情がこころに溢れると、

「今ここに与えられている現実は自分が望む世界ではない」

「こんな感情は味わいたくない」

と無理に意識を外そうとすること自体がネガティブな意識を強めてしまうので、

望まない現実を創造するための人、もの、出来事、環境ばかりを引き寄せてしまいます。

ネガティブな感情を味わっている自分や状況を責めて、より深くネガティブな感情を感じる事もできますが、

ネガティブな感情を味わい尽くし、こころの底からその感情を手放したいと思っている自分に気が付いたら、

1、笑顔を作り、深呼吸しながら呼吸を整えます。

2、ゆっくりと呼吸しながら、カラダを出入りする空気に意識を向けます。

3、五感を研ぎ澄まし、ただただカラダに感じる感覚、こころに溢れる感情を味わいます。

4、カラダに感じる違和感、こころに感じる拒否感がなくなり、心地よいと感じるまで続けます。

5、こころが落ち着いたら、この感覚を味わう機会をくれた自分自身に感謝と祝福を捧げます。

「わたし、ありがとう」とこころでつぶやき、自分自身を愛の光で包み、満たします。

いつも、いつでも、どんな時も、どのような意識でこの世界を感じ、観じるのかを今の自分が決める自由を持っていると知っていてください。

内なる平安に満たされるのに、こころびとカラー音叉チューニングサウンドがお役に立つかもしれません。

内なる神との繋がり

こころのままに、こころそのままに

ありがとうございます。

こころびとJUN

内なる世界に敏感になる

周りに鈍感である時、内なる世界に敏感になっている。

五感を通して見る世界に触れて、無理に何かに気付こうとしなくていい。

意識を内に向け、内なる平安を観じることを自分に許し、内なる平安を味わうだけで、

五感を通した世界の美しさに気付く事ができるのだから。

より純粋な意識へ

何かにこだわりを持っていると気付く瞬間、より純粋な意識へと向かう準備が整ったことを知る。

自分がネガティヴな意識を向けている目の前の世界がそのきっかけをくれ、その世界を見ている自分自身がより純粋な意識へと一歩進む機会をくれている。

『自分の内側を喜びと美しさで満たす』

そのために必要な時間はこころに喜びを感じ、美しさを観じることを自分に許すまでの時間。

いつも、いつでも、どんな時も自分自身でどんな感情を味わうのかを決めることができる。

こころのままに、こころそのままに

ありがとうございます。

こころびとJUN

どんな世界を見て、どんな感情を味わうのかを自分自身で決めることができる

五感を通して感じている存在に対して評価論評するのではなく、

五感を通して感じている自分自身がどのような意識を持ち、何を思っているのかを観じる。

五感を通して感じているすべては神の現れであり、自分の意識(自意識)を通して内なる神がその世界を創造してくれている。

いつも、いつでも、どんな時も自分の意識を通して内なる神が見せてくれている世界を感謝と祝福をこころに抱きながらそのままに味わうこと

そして、自分の意識の方向性を観じ、自分のこころに溢れる思いの一つひとつを大切に感じること

毎瞬、毎瞬、自分自身を観じ、感じる。

どのようなことにどんな意識を持っているのか、どんな思いがこころに溢れているのかを知り、理解する。

トイレの汚れを見て「汚いな~、触りたくない」と思う事も、「この汚れを取ることを通して自分が美しいと思える世界を創造する機会をくれている」と思うことも

今の自分が決めることができる。

自意識を通して何を見て、どのように表現し、五感を通して感じる世界をどのように創造するのかを自分自身が決められる。

どんな意識を持ったとしても、内なる神はいつも、いつでも、どんな時もその意識に沿った世界を創造してくれている。

こころのままに、こころそのままに、目の前に広がる世界を感謝と祝福を捧げながら味わい尽くすことができたら最幸だなと思います。

ありがとうございます。

こころびとJUN

“わたし”という存在

何かに触れて、こころが動く(感動する)のは本来の自分と共鳴するから。

愛を、美しさを、神を、わたしを観る意識を持って、今の意識に繋がる人、もの、出来事、環境を通して五感で感じる。

その感覚を研ぎ澄ました先にこそ、本来の美しい実相の世界が広がる。

いつも、いつでも、どんな時も、自分自身が何に意識を向けるかを決めることができる。

“わたし”とは意識を向けている自分自身

愛を観る意識も、美しさを観る意識も、神を観る意識も、“わたし”が決め、その意識を通して目の前に広がる世界を創造している。

こころのままに、こころそのままに

ありがとうございます。

こころびとJUN

今ここを生きる意味

《純粋な意識》

神を観る意識

*意識とは立つ日の心を知ること。

*立つ日とは真の自己を実現する瞬間のこと。

*実現とは真の“実”相を“現”すこと。

*真の実相とは神であるわたしのこと。

 

わたしは自分自身の真実(真の実相・真の自己)の創造者です。

 

わたしはわたしに「ただ在る状態(真の実相)」でいることを許します。

 

《今ここを生きる純粋な動機》

神を観る意識と感情的理解を通してわたしにとっての喜びとは何かを知り、わたしを知り、愛を知り、神を知る。

 

わたしの独自性のある意思は神のご意思です。

*意思とは立つ日の心(感情)を思うこと。

 

《理念・理想》

*理念とは“今”の“心”の在り方(感情が示す方向)を“理”解すること

*理想とは真の実“相”の“心”(感情)を“理”解すること。

 

《今ここを生きる意味》

*意味とは立つ日の心を味わうこと。

感情(内なる導き)を通して歓喜と至福を味わう。

この感情の中に美しき実相の世界が創造される。

こころのままに、こころそのままに

ありがとうございます。

こころびとJUN

内なる神を観じる

神は理性や言葉、時間を超えた存在であるがゆえに、頭で認識し理解するのではなく、

感覚、感性、感情を通して認識し、理解しようと意識する事が大切である。

カラダの感覚器官である五感を通して、

日々こころに降りてくる直感やひらめきを通して、

毎瞬、毎瞬、こころに溢れる感情を通して

内なる神を観じる事ができる。

その為に感覚を研ぎ澄まし、曇りなきまなこで意識を内に向ける。

その時間を意識的に持つことを続けていると、頭で意識しなくても自然に内に意識を向けられるようになっていく。

何かをした時、またはしなかった時に内側でどのように感じ、何を観じるのか

内なる神が何を喜び、何に対してネガティヴに感じるのか

心地よく思っているのか、それとも何か違和感を覚えているのか

その思いの一つひとつが新しい“今”を創造し、人生という道になる。

こころのままに、こころそのままに

ありがとうございます。

こころびとJUN

自分だからこそ感じられる美しさ

五感を通して自分が感じられる美しさをそのままに感じるために今ここを生きている。

そのために感覚を研ぎすまそう。

自らの主観を突き詰めた先にこそ、言葉にはできないほどの美しい世界が広がっている。

“今”というこの瞬間に、自分だからこそ感じられる美しさを、愛を、光を、神をそのままに味わい尽くそう。

自分だからこそ感じられる美しさも、愛も、光も、神もすべてが自分の内に存在してくれている。

自分の存在自体が美しさそのものであり、愛であり、光であり、神だと、こころで、カラダで知るために

僕たちは今ここを生きている。

“今”という瞬間、瞬間の感情を味わい尽くすために、僕たちは“今”この地球に存在している。

こころのままに、こころそのままに

ありがとうございます。

こころびとJUN

“あなたは気付きです。気付きはあなたのもう一つの名前です。あなたは気付きであるがゆえに、何かを取得したり鍛錬する必要はありません。やるべき事は単に、自分でないものに気付くのを止めるだけです。人が自分でないものに気付く事を止めたら、純粋な気付きだけが残ります。それがあなたです”

~ラマナ・マハリシ~

“今”

わたしという人生の一番の立役者はわたしという存在すべての創造の根源であるわたし

人生のプログラミングは生まれる前にしている。

自分自身が、それをいつ、どのようにアクティベートさせるのかを “今” 決める事ができる。

過去も未来も “今” という瞬間の連続性の中にある。

毎瞬、毎瞬をどう生きるか

真の自己を生きるのか

自己創造・自己表現・自己実現を通して経験と学びと成長を得るのか

今ここでどのような感情を味わいたいのか

どの選択も自らの内に存在する神への道

どんな道を選んでも必ずたどり着く境地

それが神

それが真の自己